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2008年1月

2008年1月31日 (木)

日課

新年を迎え日課を設定して1ヶ月が経過した。日課の内容は、体力を維持する目的で毎朝ラジオ体操(第1)を実行し、ウオーキングを行う。また、認知症予防のため毎日ブログに短文を投稿するというものである。

ラジオ体操は、満足する形で実行できた。ここまで風邪を引かずに寒さを乗り切ってこられたのも、ラジオ体操の影響が大きいと思っている。ブログも毎日欠かさず投稿し、よく努力したと自己満足している。ただしその内容については、皆さんの判断にお任せする他にない。ウオークは雨のため2日の休みがあったが、不順な天気が続いた割によく歩いた。

何れも出来過ぎの感があるけれども、引き続き努力したいと思う。

日課ではないが、興味があって「昼間の時間」を調べてみた。元日が9時間51分であったのに対し、今日は10時間26分で、1ヶ月の間に35分伸びている。厳しい寒さだが春は確実に近づいている。

2008年1月30日 (水)

メジロ

3~4日前から、軒下にある植木鉢に変わった色のものがあるのに気づいた。風でビニール袋の切れ端が飛んできたのだろうと思っていた。

気になったので昼食後外に出て確認したら、メジロの死骸であった。可哀そうにと思いながら裏庭に埋めた。メジロの死骸となると、今度は死因が何か気になる。病気・空腹・老衰・事故など浮かんでくるが、判明するはずはない。老衰死であったことを願っている。

数日前小鳥を呼びたいと思い、庭のモクセイにみかんの輪切りを針金で吊るし、翌日メジロが食べているのを確認したが、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。もう少し早く吊るせば、助かったかもしれないと思うと遅れたことが悔やまれる。

折しもニュースが、中国から輸入した冷凍餃子で、食中毒事件が発生したことを伝えている。世の中、安全の範囲がますます狭くなってしまい残念なことだ。

2008年1月29日 (火)

雨中行

雨の中、傘をさしてウオーキングに出かける。途中から雨に降られ用意していた傘を使ったことはあるが、家を出るときから雨というのは記憶にない。

昨夜からの雨に午前中ずっと部屋に閉じ込められ、「今年の冬は雨が多い」などと独り言をぶつぶつ言い、緑が多くなって花壇の土が見えなくなってきたな、などと思いながら昼休みを過ごし、いつものウオーク時間になって家を出たくなったのだ。

雨なのでいつもより15分ほど短いコースを選んだが、予想通り歩いている人はなく、遊歩道では誰にも会うことはなかった。対岸に2~3本傘が揺れていた。ゆりかもめの姿も全く見えず、今日はねぐらで休養を取っているのだろう。

元気なのは、下校途中の子供達だけだ。

2008年1月28日 (月)

インドネシア

インドネシア経済の発展、国政の安定に貢献した一方、弾圧・不正蓄財の追及を受けたスハルト元大統領が死亡した。1965年9月に発生したクーデター事件を機に実権を掌握し、68年3月、第2代大統領に就任して32年間長期政権を担った大統領である。

こんな趣旨の新聞記事を読み、インドネシアに行った時のことを思い出した。もっとも40年も前のことなので、全くあやふやな記憶である。

スハルト大統領が誕生する直前、67年12月に社用で訪問し、約1ヵ月半滞在した。経済は疲弊し、ジャカルタの広い通りに面した場所に赤錆びた状態で放置されている建築途中のビル、何時飛ぶか分からない国内便、外出禁止令など、記憶に残る当時の状況である。

ジャカルタに着いて3日目腹痛と下痢に襲われ、3日間絶食してようやく回復したが、あの苦痛は忘れられない。仕事の合間に、現在世界遺産に指定されているボロブドール遺跡や、ボゴールの植物園を案内してもらったが、残念ながら植物園の印象は薄い。

この時の仕事が継続していたとすれば、わが人生も全く変わったものになっていたのではなかろうか。

2008年1月27日 (日)

しもつかれ

「しもつかれ」は、北関東方面で初午(今年は2月12日)に作られる郷土料理である。

名前の由来は分からない。盛んに作られていた地区の旧国名「下野国」と料理名と、発音が似ているが特に関係はなさそうだ。

正月に食べ残したサケの頭や豆・大根・人参などを一緒に煮たもので、栄養があり健康食ということで最近見直されていると聞くが、どれほどの家庭が作っているだろうか?

ねずみもとらも下野国出身なので、子供のころ食べた記憶はあるが、ここで材料を集めて作って食べようという気にはなれなかった(作り方も確かではない)。たまたま昨日の新聞にレシピが出ていたのを機に、作ってみようという機運が盛り上がった。材料を買い集め夕食に食べてみる。

かすかに残っていた子供のころの味とは、全く違った感じであった。母親の味は簡単にはできない。

2008年1月26日 (土)

再生紙

製紙メーカーが、再生紙に含まれる古紙の割合を実際より多く見せかけ、偽装したとして批判を浴びている。去年の世相を代表する漢字として選ばれた「偽」が、今年もまだ健在のようだ。現役時代、製紙会社に籍を置いた者として、非常に残念なことである。

技術革新が進んでも、古紙の混入が増えれば紙の品質が悪くなるのは当然のことで、一定の品質を確保するため、古紙の混入に限界があるなら、その限界に合わせた混入率表示をすれば、問題は生じなかったはずだ。何故それが出来なかったか素朴な疑問である。

古紙混入に係わる自社の技術の低さを、自ら暴露するようなことはできなかったのかも知れない。しかし、そのような体質こそが会社停滞の要因のような気がする。

製品の品質を保つためとった処置が、「リサイクル」という言葉だけに惑わされ、自分で自分の首を絞めた構図に見える。

2008年1月25日 (金)

小学生

ねずみととらの家は裏通りに面している。この通りをはさんで10戸ほどの家が並んでいるが、この中から昨年4月、貴重な1年生が誕生し元気に通学している。今日もいましがた赤い帽子を被って下校してきたが、入学当時に比べ堂々としている。この通りで1年生誕生の快挙が、何年ぶりのことなのか見当もつかない。

正月に嵐の如くやってきて去って行った孫も、今年小学校に入学する。早や生まれというハンディキャップに加え、親譲りもあってか体型はミニである。いじめられっ子になりはしないかと心配している。

何を隠そう小生も身長が伸びず、小学から中学校まで、朝礼の時はいつも1番前に立っていた。ここでもねずみだった。

2008年1月24日 (木)

朝の空

朝起きて居間のカーテンを開けるのは、ねずみの役割となっている。カーテンを開け、雲のない空に星が輝いていると気持ちがいい。今朝は久しぶりにそんな空であった。

毎日のウオーキングコースにも、富士山のビューポイントがある。今日は全く雲のない姿で迫ってきたが、こんな姿は2週間ぶりである。西高東低の冬空がやっと戻ってきたようだ。過日「旭川の今」を写真で拝見したが、こんな時、北国の方々はご苦労の多いことと拝察している。

昨日庭のモクセイに針金を渡し、その端にミカンを半分に切ってさしておいた。いつの間に来たのかもう小鳥のつついた跡がある。次にどんな小鳥が来るか楽しみにしている。ミカンも十分確保してあるので、どんどん食べに来てほしいと願っている。

2008年1月23日 (水)

パスポート

これまで使っていたパスポートの期限が6月に切れるため、新しいパスポートの発行を申請した。大方の海外旅行では、パスポートの残存期間が、6か月以上必要の場合が多いからである。

ご承知のとおりパスポートには5年と10年、2種類の期限があるが、躊躇なく10年の期限にした。このパスポートの期限が切れるときは82歳だから、生存している確率は50%位かもしれないけれども、幸い生存していたとすれば、健康体で海外旅行も無理なく楽しめる状態でありたいと願っている。

昨年11月イスラエルを旅行した折、同行者の多くはパスポートにスタンプを押してもらわなかった。イスラエルのスタンプがあると殆んどのアラブ諸国に入国できないためである。丁度期限切れが迫っていた私は記念にスタンプを押してもらった。

朝からの冷たい雨があがったのでウオーキングに出る。いつものコースから少しショートカットしたが、歩いている人の姿はまばら、ゆりかもめがたった1羽水に浮いていた。仲間外れになってしまったのか、孤独を好み静かな水面からまばらな人影を楽しんでいたのだろうか。

2008年1月22日 (火)

野菜

秋に種を播き苗を植えた野菜が収穫期となって、台所はホウレンソウ・ブロッコリー・大根・サラダ菜・ターサイなどであふれている。こうなると使い方もつい大雑把になってしまうのではないかと畑を耕し作った方は気をもむ。

残念ながら自家産のものは、スーパーで売っているものより硬い。歯や顎の筋肉が弱ってきている現実から、どうしても柔らかいものから使われる傾向がある。柔らかい野菜を作るにはどうするのかが研究課題である。近所の皆さんに、喜んで消費を手伝っていただくにも重要なことだ。

畑の面積を少し減らしたらというのがとらの意見であるが、野菜の収穫もさることながら、家庭菜園に取り組む目的は、健康保持のためであることを強調している。

2008年1月21日 (月)

ゆりかもめ 2

新聞で京都鴨川の清流上を乱舞するゆりかもめの写真を見、写真に添えられたエッセーを読んで、その生態の一部を知ることができた。

ゆりかもめは春から秋まで大陸で過ごし繁殖する。そして冬の気配を感じて日本へ飛来する。琵琶湖のゆりかもめは、朝7時ごろ餌場の鴨川に来て一日存分に腹を満たし、遊び、日没前一斉にクルクル回りながら空高く上ってから、編隊を組んで湖のねぐらに帰るという。

では、わが愛する池のゆりかもめのねぐらは何所なのだろう。今年はいつごろまで私たちの目を楽しませてくれるのだろうか。京都にゆりかもめが飛来したのは1974年のことだそうだ。当地へ飛来したのは何時ごろなのだろうか。

2008年1月20日 (日)

センター試験

昨日・今日と大学入試センター試験が行われ、54万人が受験したそうだ。今朝の新聞には、昨日の問題と解答が掲載されている。受験生は改めて新聞の問題と解答を確認し、一喜一憂しているのではなかろうか。

細かい字で印刷された問題は、読む前に既にギブアップである。国語ならなんとかなる部分もあるだろうと、期待しながら読んでみたが考えは甘かった。20分ほどで新聞を放り出す結果となった。丁度そんなとき地震があった。当地の震度は1と気象台が発表した。

とにかく受験生の皆さんご苦労さまでした。

2008年1月19日 (土)

認知症

認知症は、子供のころの記憶は忘れず思い出すものの、間近のことは思い出せないという。認知症の前兆ではないかと思われることが起きている。

数年前までは、夜中にトイレに起きるようなことはなかったが、最近は起きないことのほうが珍しい。そのうえ排尿に時間がかかるため足が冷え、再びベッドにもぐりこんでも中々眠れないことが多い。

そんなとき、幼児のころに母が布団の中で歌ってくれた子守唄(数え唄)が、歌詞もほぼ間違いない状態で、(自分でそう思うだけかもしれないが)頭をよぎることがある。母の顔さえ思い出すにも一定の時間が掛かるほど遠い昔の事柄が、どうして出てくるのだろうか?

2008年1月18日 (金)

バックオーライ

トラックバックのテスト 再挑戦

トラックバックテスト

ブログにはトラックバックという便利な道具のあることを知ってはいたが、使い方が分からず使ったことがない。使ってみたいと思い、昨夜から説明書を横にテストをしたがうまく行かない。時間は十分あるのだから、明日も努力を続けよう。

2008年1月17日 (木)

ゆりかもめ

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公園の池からゆりかもめの姿が消え、この池はゆりかもめに嫌われたのではないかと何日か前に書いたが、鳥たちは直に戻ってきて、嫌ったのではないことが分かった。ゆりかもめさん疑ってごめんなさい!  姿を消したのは、天気・気圧あるいは時間などに理由があったのだろう。

今日の公園も、柵にとまって毛づくろいする仲間の近くで、餌に群がる腹ぺこ組が元気に飛び回っていた。

元気な鳥たちに比べ、池を巡るウオーカーの中にはマスクをしている人が多くなった。風邪が流行ってきた証拠である。要注意。

2008年1月16日 (水)

住めば都

広辞苑で『住めば都』をみると「住みなれれば、どんなに貧しく不便な環境であってもそれなりに住みよく思われるものだ。」と解説されている。

昨今のように厳しい寒さの中で、「あなたの住みたい所は?」と問えば、沖縄とか瀬戸内とか静岡県とか温暖な地域の答えが返ってくるだろうし、夏季や台風の多い時期に問えば、北海道とか信州とか、暑苦しい夏を爽やかに過ごすことのできる所が選ばれるだろう。

どこで実施した調査か定かではないが、住みやすい県として富山県がベスト1になり、何故だろうと疑問に思ったことを記憶している。

夕刊に、生活に結びつく項目とそのランキングが、下記のような県はどこかクイズがあった。( )内の数字は、全国平均値。

  出生率       2位       1.50    ( 1.26)

  共働き率      1位      58.2%   (44.4%)

  失業率      47位       2.3%   ( 4.1%)

  3世代同居率   2位      23.1%   (10.1%)

  刑法犯検挙率   1位      52.7%   (28.6%)

住みやすさの資料として取り上げられたようだが、これらの項目の我が県のランクは、果たしてどのへんなのだろうか。

(クイズの正解は福井県です)

  

2008年1月15日 (火)

百人一首

読まれた方も多いと思うが、東洋大が全国から募った「現代学生百人一首」の一部が、天声人語に紹介されている。そのうちの3首を下記に借用した。

天声人語の筆者はこれら若者の歌から、「日本もまだ捨てたものではなく安心した」と述べている。

 両親の働く姿に胸打たれそっと終わらすマイ反抗期 中3

 ほうれん草のおひたし最近水っぽい握力落ちた母の細腕 高3

 おばあちゃんさっきも言ったよその話忍び寄る影そっと肩抱く 高3

既に手遅れであることは承知しているが、少しは感ずるところがあるのではと判断し、記事を読み天声を聞くよう愚息にメールした次第である。

2008年1月14日 (月)

過ぎたるは

我が家ではいまだに旧式の石油ストーブを使っている。停電になったときファンヒーターはお手上げとなってしまうが、石油ストーブなら問題なく使えるのが自慢である。

それはさておき、過日農家で求めてきたさつま芋をストーブに乗せ焼き芋を作った。夕食後であったが、甘い匂いに誘われてつい手を出し、食べ過ぎてしまった。今日1日なんとなく胃が重く、体調不良の感じであった。

6回目の年男ともなると、何をするにしても度を過ぎると後の結果が良くない。特に食べ過ぎはてき面である。「過ぎたるは、なおおよばざるが如し」を再確認した次第である。

余談ながら、このさつま芋は、友人の案内でトマト栽培農家を訪れ求めたものだが、勿論トマトも完熟したものを自分でもぎ取り、買い求めた。トマトの味がどんなものであったか、いまさら説明するまでもないであろう。

2008年1月13日 (日)

日の出

初日の出の時間を調べていて、日の出の時間に興味を持ち記録してみた。

               日の出    昼間の時間

 12月22日(冬至)  6時50分   9時間50分

  1月 1日(元日)  6時54分   9時間51分

  1月4日~12日   6時55分   9時間55分(1月7日)

  1月13日(今日)  6時54分  10時間01分

日の出の時間と昼間の時間は、上記のように変化している。

元日の日の出は冬至のそれより4分も遅く、4日~12日までの9日間は更に1分遅い。そして、この間の日の出が1年中で1番遅く、13日になってようやく1分早くなている。

それでいて13日の昼間の時間は、冬至に比べもう11分も伸びている。つまり13日の日の出が冬至よりまだ4分遅いのに、昼間の時間が11分伸びたのは、日の入りが冬至より15分遅くなったということになる。だからと言ってそれが直ぐ生活に結びつくことではないが。                                             

2008年1月12日 (土)

聖墳墓教会 イスラエル紀行

ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナは、熱心なキリスト教徒で 326年聖地を巡礼し、ベツレヘムの聖誕教会・エルサレムの聖墳墓教会など、多くの教会を建てた。

ヘレナは発掘により、イエスが釘づけにされた十字架の破片など多くの貴重な資料を発見し、イエスの墓を確定したとされる。そしてそこに336年聖墳墓教会を完成させた。現存する建物は、1808年の大火後再建されたものである。

ビア・ドロローサは、

第10ステーション;イエスが衣を脱がされたとされる場所

第11ステーション;イエスが十字架に釘づけされた場所

第12ステーション;磔になったイエスの十字架が立てられ息を引き取ったとされる場所

第13ステーション;聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったと伝えられているところ

第14ステーション(最終ステーション);イエスが墓に納められたとされるところ

と続き、これら5ステーションは、聖墳墓教会の中にある。

写真上;聖墳墓教会入口  写真下;教会の内部第12ステーション 祭壇の下に十字架が立てられたという岩があり、多くの信者が岩に触れ祈りを捧げるため行列を作っている。

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2008年1月11日 (金)

ビア・ドロローサ 2 イスラエル紀行

過日「ビア・ドロローサ」について触れた。続いてその2。第3ステーションから第7ステーションまでの区間は、狭い道の両側にバザールがひしめき大変混雑しているところで、各ステーションには小さな教会があり、入口には所縁の彫刻などがほどこされている。

Dsc_0914_2 第3ステーション

イエスが十字架の重みに耐えかね最初に躓いた場所

Dsc_0916 第4ステーション

マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所

Dsc_0919第5ステーション

シモンがイエスに代わり十字架を負わされたという場所

Dsc_0924 第6ステーション

ベロニカという女性がイエスの顔を絹のハンカチで拭いたとされる場所。丘に上る階段が見える。 

Dsc_0926 第7ステーション

イエスが2度目に倒れたとされる場所。ここは審きの門と呼ばれるところで、門にはイエスの罪状書が貼り付けられていたという。

2008年1月10日 (木)

Aさんからいただいた年賀状には、富士山・鳥・ナスの写真が印刷されていた。言うまでもなく目出度い初夢に関する写真である。本来「鷹」と書くべきところ、「鳥」と書いてしまったが、それは、鳥の姿はしていても前後の写真を見ないと、鷹と判断できなかったからである。大変失礼しました。

いつ頃からであろうか夢を見ることが多くなった。しかし、富士山などの高級な夢は全く見たことはない。ウオーキングをしながら富士山を遠望しているのだから、たまには富士山が出てきてよさそうなものと思うが。

この頃の夢は、トイレに関したものがほとんどで、目を覚ますと必ずトイレ行きが迫った状態になっている。トイレを我慢した状態でトイレの夢を見ているのである。夢ですんでいる内はいいとして、地図を描くようなことにだけはなりたくないとつくづく思う。

初夢が脱線しました。ご容赦ください。

2008年1月 9日 (水)

支柱立て

いつまでも正月気分でいるわけにはいかない。

昨日は、ぽかぽか陽気に誘われるように畑に出て、エンドウ豆の支柱立てをした。周りを見回すと、仲間の畑は旧年中に支柱が立てられ、年始に何日間か続いた寒波にも耐えて、エンドウがよく伸びている。ほぼ同時に種を播いたのだが、苗の伸び方は大分違う。水やりや寒さに対する保護など、作物に対する愛情が、作物の育ち方に直ぐ表れることが分かる。

それにしても暖かい。机に向かっていても居眠りが出る。ウオーキングでは、開花した梅を見つけた。

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2008年1月 8日 (火)

エッケ・ホモ イスラエル紀行

写真の道路をまたぐアーチは、「エッケ・ホモ アーチ」と呼ばれ、紀元135年ローマ皇帝ハドリアヌスにより、エルサレム征服を記念して建造された凱旋門の中央アーチ部分である。つまり、道路両側の建物は別として、この道路は当時の道路そのものといえる。

このアーチを囲んで教会が建ち、アーチ同様「エッケ・ホモ 教会」と呼ばれ、教会の地下にある敷石が、判決を受けた後イエスが自ら十字架を背負った場所とされ、ビア・ドロローサの出発点といえる。

新約聖書の「ヨハネによる福音書」第19章に、イエスを裁いたローマ総督ピラトが、人びとの前で発した『見よ、この人を』という言葉がある。ラテン語では『エッケ・ホモ』と発音され、アーチや教会の呼び名の元となっている。

いま、現地を訪問したときの記憶を辿っても、エッケ・ホモ教会とビア・ドロローサ第1ステーションとの位置関係や、エッケ・ホモアーチとエッケ・ホモ教会の位置関係などは、全く分からない状態である。ご存知であれば教えていただきたいと思っている。

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2008年1月 7日 (月)

午前中から雨が降り出し、家から一歩も出ることなく一日が過ぎた。多少の雨でも一日一回は畑に出かけ、野菜と会話を交わすのが日常になっているし、長い時間じっとしているのが苦痛となってきたこの頃の状態からすると、こんなことは珍しい。

このところ日本列島が冬の高気圧におおわれ、晴天が続いていたので休むことなくウオーキングを続けることができた。なにごとも継続することに価値があるとしても、雨の中傘をさしてのウオーキングに出かける気にはなれない。

2008年1月 6日 (日)

ビア・ドロローサ(悲しみの道)

イエス・キリストは、ローマ帝国の総督ピラトから死刑の判決を受け、ゴルゴタの丘を十字架を背負って登った。

ピラトがイエスに有罪判決を下した場所を第1ステーションとして、イエスの墓の第14ステーションまで、約1kmの道がイエスの歩いた道で、「ビア・ドロローサ」と呼ばれている。しかし、イエスが実際に歩いた道と、現在のビア・ドロローサが、同じかどうかは定かでないようである。

世界各地からエルサレムを訪れたキリスト教徒が、第1から第14までの各ステーションで、祈りを捧げながらこの道を歩み、観光客がそれぞれの思いを抱いてこの道を歩いているのである。

現在ビア・ドロローサは、パレスチナ人の繁華街に囲まれ、生活の一部に組み込まれているので、訪れたときも大変混雑していた。イエスが歩いた当時も、この道は賑わっていて、見せしめのため民衆の目が注ぐこの道が、受刑者の歩む道として選ばれたのかもしれない。

写真は第3ステーション付近のビア・ドロローサ

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2008年1月 5日 (土)

天体ショー

嵐が去り静けさが戻った。つかの間の出来事であった。

木星が地球に大接近しているとの記事を見てから、毎朝窓のカーテンを開けるとき南の空を見ている。冷たく晴れた空に大きく輝く木星を見ることができる。

今朝はその木星に三日月が接近して見えた。

何年か前まで、つまり、 ものぐさで寒がりあった当時は、このような天体ショーがあっても、早朝にカメラを持出すようなことはまずなかった。古希を過ぎたせいだろうか、こうした点では大分変わったと自分でも思う。

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2008年1月 4日 (金)

三が日が全く平穏に過ぎた我が家の正月であったが、4日は突然大嵐となった。台風の目は孫である。今年から小学校に入学するので、これからは我が家への上陸回数も、少なくなってしまうのだろうが。

東京証券取引所も大荒れであけた。夕刊の見出しは、「東証、765円下げ」と白抜きであった。今年の経済の先行きを暗示しているように思う。

2008年1月 3日 (木)

見当違い

年賀状に混じって、立派な車のダイレクトメールが届いた。

印刷されている車の価格は、貰っている年金の少なくとも3年分ぐらいはするものであった。要するにどう計算しても、買えるような代物ではないのである。

ダイレクトメールを発送する立場としては、当然その車を買って貰いたいがため、買う可能性のある人物を選別し発送したのだろう。そうした人物の一人に選ばれたとすれば、大変有難いような気もするし、選んでくださった方にお礼を申し上げなければならないが、その選択は見当違いも甚だしいといえる。

当人は、年々高くなる任意保険に頭を痛め、急騰するガソリン代を節約するため自転車をこいでいる輩なのだ。願わくはジャンボに当選し、メールのような車を乗り回すことができるようになることである。

2008年1月 2日 (水)

願いごと

自慢することでも謙遜することでもないが、宗教的行事にはあまり関心を持っていない。これまで困ったときや困難が迫ったときだけ、「神頼み」をしてきたように思う。難事が無事解決しても、「お礼参り」もしない状態だから、多分とっくに神様から見放されてしまったに違いない。

そうは思いながら、昨日は初日の出の写真を撮った後、近くの神社にまわり『家内安全』をお願いしてきた。

家の近くに市立図書館の駐車場があり神社にも近い。図書館は休館中だが、昨日は初詣の家族連れの人たちで1日中混雑していた。私のように不埒な態度ではなく、心から家族の安泰をお祈りしたのではなかろうか。

2008年1月 1日 (火)

年賀状

あけましておめでとうございます。

郵便屋さんの姿を心待ちにしていたが、10時過ぎ年賀状が届いた。各種の事情で年賀状は年々数が減っている。年金生活者ともなれば、年賀状だけのお付き合いという方も多い。しかし、それも仕方のないことだ。

パソコンクラブが結成されて、メンバーの皆さんから早速いただき、近年では珍しく枚数増の要因となった。クラブの皆さん有難うございました。

この年齢になると、筆跡や文章・パーツの構成によって、名前を見なくても誰からのものか判断できる。特に、版画・プリントスクリーン・筆書きなどは少数派となり、このような賀状は誰からかまず間違うことはない。

文面や写真を見ながら、親しくお付き合いいただいた往時を振り返ったりした。いずれにしても、今年は安心して生活できる年であるよう念願して止まない。

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