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2008年2月

2008年2月29日 (金)

出来事

イギリスで王位継承第3位の王子が、アフガニスタンでも危険とされる南部ヘルマンド州に派遣され、軍の任務に就いていると報道された。

祖父母と孫の交流が数えるほどしかなく、増やすことが望ましいと周囲が意見を述べる国もある。

普段こうしたニュースに興味はないが、イギリスのニュースが、後者と余り隔たりのないタイミングで伝わったので、対照的な面が増幅され、興味深く感じたのだ。

2008年2月28日 (木)

移る季節

公園の池に彩りを添えていたゆりかめのが少しずつ姿を消し、今日は10羽ほどが水に浮かんでいた。明日はもういなくなっているかもしれないと思いながら帰宅した。

メジロは何時ごろまで庭に来てくれるのだろうか? もっとも、手持ちのみかんの方が先に無くなったら、どうしようなどと思ったりもしている。

水鳥たちは最近水面で盛んに羽ばたきをしている。鳥も雑草も木々も春に向かって動き出した。スギもヒノキも例外ではない筈。間もなく花粉の放出が始まり、招かざる客がやってくる。

2008年2月27日 (水)

フン害2

「飼い主のあなたが担当フンの処理」 家の前に立っている看板である。

「ベルリンでは日常下を向いて歩かなければならない。何故なら、ところ構わず犬の糞が落ちているからで、パリのフン害は有名だがベルリンも負けず劣らずである。」とベルリン駐在記者の報告が今朝の新聞にあった。何れの街も悩みは同じとみえる。

さて、「この街に駐在していた先輩が、自発的に実行した道路の清掃活動からフン害が解消し、引き継いだ私も大変鼻が高い。」といった内容のベルリンからの報告を、何年か後に読みたいと思うが無理だろうか。

2008年2月26日 (火)

被り物

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孫が頭に冠もどきのものを乗せ、王様然としている。この被り物は、鍋やポットなどに保温のため被せるもので、人物用ではない。

2年ほど前、ウズベキスタンを旅行した折バザールで買い求めたもので、ウズベキスタンでは現在でもこうしたものが平時使われているということであろう。表に刺繍がしてあり中には綿が入っている。

正月に来た孫が、台所に置いてあるポットに被せてあったのを、サッと取って自分の頭に乗せた時のスナップである。部屋中に笑いが拡がった。

この写真は居間に飾ってある。

写真を見ながらメモを取っていたら電話が鳴った。健康器具の無料体験会を開いているので、参加しませんかとの勧誘であった。「お歳の割に声が若いですね」とお世辞もあったが、暫く説明を聞いたあとお断りした。

2008年2月25日 (月)

愕然

たまーに使うことはあるが、愕然の「愕」は覚えにくく書きにくい。今回メモ帳に書くにあたっても、当然辞書の厄介になった。辞書には「ひどくおどろくさま」と解説がある。

何日か前、毒入りギョウザの話から、ねずみととらの会話は虫の害に比較的強い花が話題になった。以前から庭にたくさん植えてある花なのだが、その花の名前がなかなか出てこない。「あれ」・「それ」で話はつながるがもどかしいものである。

何分か経過してから「ゼラニウム」であることをとらが思い出した。

さて、その日の真夜中トイレを済ませてから、昼に思い出した花の名前がまた出てこず、再度悩むことになって、認知症ではと「愕然」としたのである。

あいうえお順に仮名を並べてやたら単語を作り、「ざ」行まで進んでようやく「ゼラニウム」に辿り着きホッとした。20分位かかったのではなかろうか。安心してその後は朝まで熟睡した。

幸い現時点では「ゼラニウム」がすっーと出てくる。

2008年2月24日 (日)

授粉

裏庭の梅が1~2輪開花した。いつも見ている公園の梅に比べれば1ヶ月近く遅い。この梅は実を採るため植えたもので、花が遅いとか、花の色が悪いとか文句を言うのは筋違いではある。

梅は自家受粉をしないことを承知しているが、土地の関係で1本しか植えてない。この時期蜜蜂の飛んでいる姿も見ることがないので、近くに異種株があっても花粉の媒介は何者が行うのかと疑問が湧く。いずれにしても、この木はここ数年殆んど実をつけないので、当初の目的を全うしていない。

面倒でも満足のいくような収穫を目指すなら、人工授粉をする必要がありそうだ。

かつて信州に赴任していた頃、会社の構内にキウイが20本ほど植えてあり、開花して受粉の適期になると、社長の指示で人工授粉をしていたのを思い出す。キウイは雌雄異株である。

2008年2月23日 (土)

スケジュール

昨年暮れ100円ショップでスケジュール帳なるものを買い求め、一応用意はしてあるが書き込みも少なく、十分機能しているかどうか疑わしい。しかし、珍しく3月は予定が込んできたので、書き込みの必要に間違いなく迫られている。

まず、3月に開催される10日間のパソコン関係講座を受講することになった。10時から昼を挟んで16時まで、正味5時間の講義があり、弁当持参は近来にないことである。

また、雪が雨に変わるころあるいは農作業を始めるころといわれる、24節気のひとつ「雨水」は19日であった。スケジュールの合間を縫って、天気と相談しながら、菜園の作業も忙しくなってくるという訳である。

さらに、4月10日は孫の入学式である。入学前に訪ねる約束を孫としてあるので、その日程も決めなければならない。

等々忙しくなってきた。風邪などひいてはいられない。

2008年2月21日 (木)

マサダ

死海の西岸に高さ約450m(海抜50m)、周囲から孤立した、山頂が平坦な岩山がある。これがマサダ遺跡である。マサダとはアラム語で要塞という意味だそうだ。現在はロープウエーがあり簡単に登ることができる。帰途ねずみととらは、ロープウエーの下にうねっている歩道を健康保持のため歩いて下山した。「年寄りの冷や水」というなかれ。

バビロニアによって捕囚の民となっていたユダヤ人は、BC538年アケメネス朝がバビロンを開城したことにより解放され、イェルサレムへの帰還が許された。このときから、AC70年ローマ軍によるイェサレムの神殿破壊までの期間が、イスラエルの歴史では「第二神殿時代」と呼ばれる。

ヘロデ大王(BC37年~BC4年在位)は、単なる要塞としてのマサダを強化増築し、巨大な貯水槽・食糧庫・ローマ式浴場などを備えた町に発展させた。

しかし、そのことよりもマサダがユダヤ人社会にとって重要なのは、AC70年、ローマ軍との戦いでマサダが最後の立てこもりの場となり、最終7人の女・子供を残し全員が自決したという歴史的事件で、ユダヤ人社会に「ノー・モア・マサダ」のスローガンを残したといわれる。

真偽のほどは別にして、マサダに立てこもったのは967人であったとAC80年代に書かれた歴史書「ユダヤ戦記」に残されている。日本最初の歴史書「古事記」の完成は710年代であり、「ユダヤ戦記」が、また、ユダヤの歴史が如何に古いものであるか知ることができる。

Dsc_0404 マサダに上るロープウエー

Dsc_0412建物の遺跡

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漆喰の残る壁

Dsc_0418ヘロデ大王が建設した「北の宮殿」跡

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マサダ攻撃のため作られたローマ軍の基地の跡(谷を挟んだ向こうの山頂に四角形の城壁跡が見える)

2008年2月20日 (水)

アッコー

先にも書いたと思うが、イスラエルには古い町が多い。レバノンに近い北部の港町アッコーも、紀元前20世紀には既に町としての機能を持っていたという。

地中海の良港として、BC16世紀頃フエニキア人によって繁栄がもたらされ、その後も十字軍・マムルーク朝・オスマン朝など、多くの時の支配者のもとで発展してきた歴史を持つ。

現在新市街にはユダヤ人が住んでいるが、城壁内の旧市街はアラブ人の町である。

Dsc_0070 旧市街散策時のスナップ

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雑然と商品が置かれたスーク

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城壁上からの眺め

Dsc_0083キャラバンサライ(隊商宿)を見学に来た学生

Dsc_0090 波に洗われる城壁?の跡

Dsc_0108 海岸の新婚さん

Dsc_0107 地中海に沈む夕日

2008年2月19日 (火)

風邪

風邪のため、とらが寝込んで4日になる。貧相な顔がますますさえない。

例年まずねずみが引き、とらにうつすというパターンであるが、今年は様子が違う。もっとも、今更風邪を引受けるわけにもいかないので、手段を尽くして防戦している。

去年は、白内障の手術・入れ歯と健康に係わる初体験をした。神様は、年々少しずつ、しかも確実に、何らかの体験を積むよう仕向けているように思はれる。

今回も生活体験として、台所の仕事や洗濯を着実にこなせるか、テストをしたのではないだろうか。現役のころ大分長い期間単身赴任をしていたから、それらは十分こなせることを実証済みの筈なのだが、最近はさぼり気味のため、再確認が必要になったのかも知れない。

2008年2月18日 (月)

パキスタン

ブット氏暗殺事件などで延期されていた、パキスタンの総選挙が今日行われている。選挙の結果も、政情が安定するかどうかも全く分からないが、とにかく早く安定して、安心して旅行のできる国に一日も早くなってほしいと望んでいる。というのも、パキスタンは行ってみたい国の一番手だからである。

現在殆んどの旅行会社は、パキスタン方面のツアーを売り出してはいない。特殊な旅行を得意としている会社が売り出しているが、果して参加者がいるのだろうか。

「フンザ」をキーワードとして検索すると、桃源郷の写真集や旅行記・旅行案内などに辿り着くことができる。これらを読み始めると、時間の経過を忘れてしまう。

2008年2月17日 (日)

年齢

過日、静岡県内で最高齢のおばあさんが110歳の天寿を全うしたと報じられた。明治30年生まれという。このニュースが特に耳に残ったのは、84歳で他界した母も、同じ明治30年生まれであったからだ。

少なくとも親の年齢までは生きたい、つまり、男性は父親の年齢まで、女性は母親の年齢まで生きたいと、殆んどの人は考えているのではなかろうか。もし、次のねずみ年を経験することができれば、それは丁度母の年齢に当たるが、少し欲張り過ぎだろうか。ちなみに、父は79歳で他界している。

2008年2月16日 (土)

単独ウオーク

とらの都合で今日のウオーキングは単独行動となった。ここ何年か歩いていて知人に会うことが殆んど無く、不思議に思っていたが、今日は珍しく偶然に現役時代の同僚に会った。顔見知りと逢うことが少ないのは、要は、顔見知りの数が少ないためだろう。

コースの途中に寒桜があり、去年の10月頃から咲き続けていた花が、このところの強風で殆んど散ってしまった。「三日見ぬ間の桜かな」と、桜は1週間もすれば散ってしまうが、この桜は5カ月近く咲いていた。上手く交配すれば「そめいよしの」も長持ちする花が作れるかもしれない。青いバラのように。

冷たい風の中で藤棚に上り藤の剪定作業が行われている。今が適期で、きれいな花を咲かせるには欠かせない作業とみえる。ご苦労さまと心に思いながら通り過ぎる。

2008年2月15日 (金)

折込み広告

最近配達された新聞折込み広告の1枚に考えさせられた。土曜日にはかなりの量が入ってきて、見る気にもなれない折込み広告だが、そんなある日の1枚である。

広告には、東国原宮崎県知事の写真があり、宮崎県産品の特売を知らせるスーパーの折込みで、当日当知事がこのスーパーに来て、特売の支援をするという内容であった。県産品拡販に対する知事の積極的行動力には敬服した。

一方で、宮崎でしか生産されていない特産品を、当県内で販売するのであれば、それなりの価値はあると思う。しかし、当県内でも生産されている競合商品がずらりと並んでいるとすれば、県内の関係者は、これを黙って見過ごしてはならないと思ったのである。

「地産地消」が泣き出すことだろう。

2008年2月14日 (木)

死因

朝日を受けながら居間で新聞を読んでいたら、メジロがみかんを食べにきて賑やかになった。しばらく外を眺めていると、突然窓ガラスにメジロが衝突した。ガラスについたゴミを拭き取ってみたら羽毛であった。相当激しく当たったと思はれる。

過日軒下でメジロの死骸を見つけたが、このメジロも窓ガラスにぶつかって死亡したのかも知れない。今日のメジロはそのままどこかへ飛んで行ったが、元気でいるかどうか心配になった。

どうしてガラスに向かって飛んできたのか不思議に思う。

外に出てメジロが飛んできた方向から窓を見ると、庭に植えてある樫の木が映っていた。メジロがもくせいに吊るしてあるみかんを食べに来るとき、まずこの樫の木にきてからもくせいに飛び移ることが多い。満腹に食べたメジロが、帰り道窓に映った樫の木を本物と間違えたのかも知れない。メジロのためにこの樫の木を切るわけにはいかないが。

2008年2月13日 (水)

見舞

義弟が大動脈弁の手術を受けたので見舞いに出かける。昨年小生が受けた白内障の手術などとは違い、場合によっては命にかかわる事態も起こりうる手術なので、入院期間も相当長くなるのではと思っていたが、術後10日で退院したので、自宅に見舞うことになった。

事前の各種検査に始まり、虫歯の抜歯など事前の処置を受けた話を聞き、また、治療の主体は動脈弁の機能回復にあるとはいえ、手術が体内の思わぬ部位に影響のあることを知り、驚くとともに、いかなる部位も大切にしなければならないことを、再確認した次第である。

2日間の留守の間に、池のゆりかもめの数は少なくなってしまった。

2008年2月10日 (日)

兵糧攻め

日本の食糧自給率は39%だという。日本人の消費する食糧の60%以上が輸入品ということである。最近発生した輸入冷凍ギョウザの中毒事件で、食糧自給率問題が再燃するだろう。

昔から、「兵糧攻め」の戦法が取られたケースは多い。敵方への兵糧の供給を妨げて敵を降伏させようとする攻め方である。日本をギブアップに追い込むには、武器は一切必要ではない。四周の海を封鎖すれば足りるという状態に、現在の日本は追い込まれているといえる。

そんなことを考えていたら、大分県で牧場を営む夫妻の記事があった。30haの牧場に3000頭に乳牛・1250haの放牧地に6000頭の肉牛などを飼育し、グループ全体の年間売上高は、約100億円の規模だそうだ。このような牧場のあることを初めて知り、心強く、また驚きっでもあった。同時に、新鮮な季節の野菜を家族で食べ、ときには近所の皆さんに味わっていただけるような野菜作りを、吹けば飛ぶほどの菜園ながら続けたいと思った次第である。

皆さん野菜作りをしませんか! 健康にもいいですよ。

2008年2月 9日 (土)

誕生日

誕生日を迎え名実ともに年男になった。欲張りを許されるなら、次の7回目の年男まで元気に生きたいということだが、これから先のことは神様に「ご随意にどうぞ」とお任せする他にない。

誕生日を迎え、年金の受け取りをお願いしている金融機関から記念品が、全く利用していないJALから祝いのメールが届いた他は、何処からも何の沙汰もなかった。愚妻が忘れていなかったことだけがせめてもの慰めである。正月用に用意し、飲み残してあった缶ビールで乾杯をした。

振り返って、自分自身は両親の誕生日を覚えていて、毎年の誕生日にお祝いの言葉を掛けたことがあっただろうか? 答えは全く否である。今さら周囲に向かって「気が利かない者どもだ」などと恨み言をいうのは筋違いなのだ。

2008年2月 8日 (金)

上京準備

近日中に上京することになった。鍬をぶら下げて野菜畑に行くようなわけにはいかないので整髪をする。もっとも、この前整髪をしたのは12月5日なので、少ないながらも伸びるべきところは伸びていて、整髪の時期が来ていたことも確かである。

頭の表面積に比べ、バリカンを動かさなければならない部分は半分もないのだが、とらの持つバリカンは同じ場所を何度も往復していて、中々終わらない。「とらでもいい」と注文を出す結果となった。

子供たちが小さかった頃、遥か昔のことだが整髪は私の役目であった。とらにしてはならないと少しずつ切り詰めたので、時間ばかりかかってしまった。子供にとっては迷惑な話で、早く終わってほしいと思ったことだろうと、改めて感じた次第である。

2008年2月 7日 (木)

礼儀

ある著名な方の礼儀作法についての記事から。かりにA氏として、A氏がBさん宅を訪問した際、約束の時間より早く着いてしまったそうだ。そうとは知らないBさんは、そろそろA氏が来る時間なので、玄関先を掃除しようと思い外に出たところ、A氏がそこにいて足踏みをしていた。

Bさんが「何をしているのですか?」と聞くと、A氏は、「少し早く着いてしまったので」と答えたという。

こうした約束を守ろうとする日頃のA氏の心掛けが、A氏を大成に導いた要因であったことは間違いない。勿論それが全てとは考えられないが。今からでも見習うことにしたいと思う。

2008年2月 6日 (水)

流れ鮨

「流れ鮨」をご存知だろうか? 握られたすしがコンベアーに乗って運ばれ、好みのものを取って食べる「回転寿司」はおなじみだが、「流れ鮨」は次のようなシステムである。

各テーブルに据え付けられたパソコンの画面に、すしのメニューが表示され、客はその中から食べたい物を選び、タッチパネルとなっている画面で注文する。

客の注文は、板前さんの前の画面に表示され、板前さんは画面を見て注文の品を握り、回転しているコンベアーに乗せる。

回転コンベアーに乗ったすしが、注文した客のテーブルのところに来るとセンサーが働き、客のテーブルに運ばれる仕組みである。

注文してからすしが届くまで、2分位だろうか。「回転寿司」では、何回転したか分からないような皿に手を出してしまうこともあるが、「流れ鮨」はそのようなこともなく、新鮮で衛生的に思える。年金が支給される位の頻度で入ってみるが、いつも満員の盛況である。

2008年2月 5日 (火)

再びイスラエル

イスラエルを一言で表現しろと言われたら「マジックが仕掛けられた国」と答える。これほど複雑で不思議をもった国は他に知らない。これはイスラエルを紹介した本の、冒頭の部分の要約である。

紀元前13世紀に、モーセがユダヤ民族を統率してエジプトを脱出しカナンの地に王国を築いたあと、アッシリア・バビロニア・ペルシャ・マケドニア・ローマ帝国・アラブ・オスマン トルコ・・・・・と支配者が変転、争奪を繰り返した長い歴史を持つ町との出会いや、紀元前1010年ごろダビデ王によって首都として建設され、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖地となったエルサレムの散策。

更に加えて、海抜(-)400mにあり、ヨルダン川が流れ込む一方流れ出る川を持たない死海や、地殻変動と浸食により作られた世界最大級のクレーター、春のイスラエルを覆うシュンギク・アネモネ・ポピー・チューリップ・・・・・などの花々と、自然の不思議や魅力も備えた土地の観光。

パレスチナとの紛争が続き、訪れるチャンスを掴めなかったが、ようやく和平の動きが出てきたのを機に、マジックが仕掛けられていたかどうかは分からないが、そんな魅力・不思議を持つ国イスラエルを訪れることにしたのである。現時点でもイスラエルを選んだことは間違いではなかったと満足しているものの、季節的に美しい花々とは会ず残念であった。

2008年2月 4日 (月)

住宅着工

「住宅着工数」という言葉が気になる。現職時代の癖がまだ残っているようだ。

ご案内のとおり、紙の原料はパルプであり、パルプは木材から作られる。パルプ工場は、原料の木片(チップ)を大量に集めなければならないが、現在ではその70%を輸入に頼っている。30%をまかなう国内産チップは、各地に散在する製材工場などで生産される。

理屈上住宅着工数が増えれば、製材工場の活動は活発になり、連れてチップの生産が増える。また、着工数が多いということは、その前提としてこれまで住んでいた古い家を解体したことにも繋がる。解体した家の柱や板などもチップになりパルプの原料として使われているので、この面でもチップの生産が増え、パルプ工場はチップを集め易くなる。

逆に住宅着工が減れば、チップの集荷が大変になるという因果関係にある。現実にはそんな単純なものではないし、現在ではチップの需給構造が大きく変わってしまっている。更に現時点では自分に全く関係ないことなのだが、何故か住宅着工数にこだわりがあるのだ。

2008年2月 3日 (日)

栃・岡

「常用漢字」を辞書で引くと、「公文書や一般社会生活での漢字使用の目安として、それまでの当用漢字にかわって1981年内閣告示された1945字の漢字」とある。

栃木生まれ静岡在住の身で、「栃」や「岡」は至極普通に使い、常用漢字の仲間と認識していた。しかし、過日文化審議会の答申で、「栃」や「岡」を含む11字が近く常用漢字に加わることになるとの記事を読んで、これらが常用漢字でないことを知った。

ブログの文は、漢字変換辞書を使って書いているので、よく読み返してみると当て字が多いのではなかろうか。また、「常用漢字」をキーワードに、漢字に関するサイトを検索すると、参考になることが大変多く、漢字についての知識不足を思い知らされる。

上記のような現象は、漢字の基礎を学習する小・中学校当時、如何に勉強しなかったかを証明しているものであろう。

2008年2月 2日 (土)

ラン

カトレア・パフィオ・ギンギアナムなど、ランの仲間を数鉢ずつ育てている。去年春気温が上昇してから庭に出し、初冬家の中に取り込んだ。

いつも早い時期に開花するカトレアは、1ヶ月以上目を楽しませてくれたし、いい香りを届けてくれた。(写真:07年10月19日撮影) 今年になって別の鉢も蕾が伸びてきたので楽しみにしていたが、開花前に落ちてしまった。

パフィオも蕾が出て、今年はうまくいきそうだと喜んでいたが、ある日元気がなくなり茶色になった。去年に続きあと一歩のところで失敗してしまった。温度と水の管理が不適切であったためだが、きれいな花を咲かせるのは難しい。

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2008年2月 1日 (金)

シルバー

現職を退いて毎日が日曜日になってから、持て余し気味の時間を有効に活用したいと、シルバー人材センターに登録した。丁度適した軽作業の仕事が見つかり、約1年働いたが、怠け癖がついていたのだろうか、「五十肩」となり左腕が上がらなくなって、別の方に交代してもらった。2年前のことである。

10年ほど前右肩が五十肩になり、漸く治って忘れたころ今度は左にきた。前の経験が役立ち左は比較的軽くすんだ。

以来、人材センターとは無縁であるが、年会費の請求があり久し振りに事務所を訪問する。パソコンに関係した仕事はないか尋ねてみたが、そのような仕事は皆無に近いとの話であった。

人材センターが主催する各種講習会のパンフレットを見ても、対象者は60歳代前半とある。とうに古希を過ぎた者はお呼びでないようだ。

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