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2008年12月

2008年12月29日 (月)

鶏と卵

イスラエルがパレスチナ自治区ガザを空爆し、200名以上の死者が出た。イスラエルとパレスチナの戦闘は、鶏と卵の関係のようにお互いが「そっちが先にやった」と非難し、報復攻撃を繰り返してきた。

ガザを支配するハマスとイスラエルは、今年6月エジプトの仲介で停戦に合意したものの、11月になってイスラエルがガザに侵入、これに対してハマスが停戦違反だとしてロケット弾攻撃を再開、待っていたかのようにイスラエルが空爆に踏み切った。またも同じようなパターンの繰り返しである。

ねずみととらがイスラエルを訪れたのは、07年11月、約1年前のことである。パレスチナ内部でファタハとハマスが対立し、ヨルダン川西岸をファタハが、ガザ地区をハマスが支配することになり、ヨルダン川西岸を統治するパレスチナ自治政府のアッパス議長と、イスラエルの和平交渉が続いているときで、このときとばかりイスラエル観光が復活した頃であった。例年年賀状には海外旅行で撮影した写真を利用していて、今年の年賀状にはエルサレムの写真を掲載し、思いで深いところである。

空爆とロケット弾攻撃がさらにエスカレートすれば、残念なことに、再びイスラエルの観光はストップすることになるだろう。

2008年12月28日 (日)

イラン⑪

イマーム広場の北方には、イスファハン経済の中心として発展したバザールの小路が続いている。バザール・イスファハンと呼ばれ、現存するものの大部分が、サファヴィー朝時代に造られたものである。

この小路を北東にたどると、マスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)がある。イスラムでは金曜日が集団礼拝の日と定められ、その集団礼拝が可能な規模と大きさを持つモスクは、金曜モスクと呼ばれる。

イスファハンの金曜モスクは、8世紀に創建され、火災焼失と再建、増改築が繰り返され、現存する建物は12世紀~14世紀のものが主体となっている。中に入るとさまざまな時代の建築様式を見ることができる。

ほかに、サファヴィー朝の栄華を今に伝えるものの一つに、チェヘル・ソトゥーン宮殿がある。1647年迎賓館としてアッパース2世の命により建てられた。正面の池に面して20本の柱を持つ建物であるが、池に映って柱が40本に見えるため、「40の柱」を意味する「チェヘル・ソトゥーン宮殿」と呼ばれている。残念ながらこの池には水がなく、40の柱は見ることができなかった。

宮殿の内部は博物館となっていて、壁には宴や戦の様子を描いた歴史絵が残っている。また、木々に囲まれた宮殿の近くにチャイハネがあり、チャイを楽しんできた。

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金曜モスク ドームの内部  装飾はないがさまざまな建築様式が時代の流れを感じさせる

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モスク全体で470個の小さなドームがあり それらを支える柱の列 この柱にも時代による違いがある

Dsc_0155 ミフラーブと階段状のメンバル(説教壇)

Dsc_0297 宮殿の側面  黒いコートは女性の団体客

Dsc_0280 博物館内 宴の様子を描いた絵

Dsc_0304 チャイハネの中  水タバコの道具も見える

2008年12月27日 (土)

支持率

アメリカのCNNが、12月19日~21日に行った調査によると、オバマ次期大統領の就任前支持率は82%、不支持は15%だったという。クリントン前大統領の1期目就任前が67%、ブッシュ元大統領のそれが65%だったのに比べ、飛び抜けた支持率である。

イラク戦争や金融政策など、大きな失政のため信頼を失ったブッシュ大統領に対して、次期オバマ大統領が如何にアメリカ国民から期待されているか、その大きさの表れである。

民主党の大統領候補選びで、激戦を繰り広げたヒラリー・クリントンを、次期国務長官に起用するなど、閣僚の人選でも高い評価を獲得しているようだ。

どこかの国の総理大臣とは大変な相違である。

2008年12月26日 (金)

暖冬

庭のロウバイが開花した。例年より大分早い開花と思う。1輪だけなら狂い咲きと見ることもできるが、一斉に咲いているのだから、ロウバイはもう春が来たと感じているのだろう。

昨日は、ウオーキングでいつも通る梅園に、紅梅が1輪開花しているのを見つけた。たった1輪であったが、周囲の蕾も大分膨らんでいるから、それらの蕾が開くのも間もないことと思う。

来春に食べる積りで畑に種を播いた菜花も、もう黄色の花を開いている。毎日おいしく食べているが、正直なところいささか食傷気味でもある。この分では2月には食べるものが無くなってしまうだろう。

他の野菜たちもよく育っている。丹精をしたからだと威張って見せたが、暖冬の影響が大きい。

2008年12月25日 (木)

イラン⑩

広辞苑には「モスク」=「イスラム教の礼拝堂」とある。モスクは、アラビア語の「マスジド」(平伏する場所の意味)から転じたもので、その建物には、ミフラーブ=(メッカの方角を示す壁に作られた窪み)、ミンバル=(説教壇)、ミナレット=(アザーンを唱える塔)、ミーダーア=(浄めを行う水場)などが設置してある。しかし、キリスト教の教会や仏教の寺院に比べ、一般的に簡素な建物である。

王やスルタン、聖者の墓が設置されているものも多く、そうしたモスクはその王やスルタンの名を冠している。

イスラム教国のホテルに入ると、部屋の天井に矢印が描かれている。イスラム教徒は、メッカの方向に向かって1日5回礼拝を行う習わしで、この矢印でメッカの方向を知ることができるようになっている。つまりホテルの簡易ミフラーブである。

さて、イマーム広場の南側には、サファヴィー朝を代表する、イスラム芸術を極めたマスジェデ・エマーム(イマームモスク)がある。このモスクは、1612年にアッバース1世の命によって着工され、アッバース1世没後の1638年に完成した。

まず広場の正面に面して、広場を飾るためのエイヴァーン(門)がある。門を入り45度右に折れた方向にイマームモスクが建っている。この方向こそがメッカの方向という訳である。

Dsc_0222 ライトアップされた広場正面のエイヴァーン(門)

右手にドームが見える

Dsc_0359 エイヴァーンの天井は見事な鍾乳石の飾り

Dsc_0386 神学校とドーム

Dsc_0367 中庭

2008年12月23日 (火)

イラン⑨

イマーム広場の東側に堂々とドームを輝かせているのが、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー(モスク)である。普通一般のモスクは、アザーンを伝えるためのミナレットを備えているが、このモスクは王族専用のモスクのため、ミナレットがなく、また、集まる人の数も少ないため中庭もないのが特徴である。

アッパース1世の命で1601年に着工し、17年の歳月をかけて完成した建物で、サファヴィー朝建築の傑作である。

殆んどのモスクが青を基調としているが、このモスクはベージュを基調とし、また、小さな彩色タイルをモザイク状に並べて、さまざまな精緻な模様を描き、ドームの天井は華麗な孔雀の羽を思わせる模様である。

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回廊から頭を出すドーム  回廊とドームの屋根はベージュ

         

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ドーム内部の壁  彩色タイルをモザイク状に並べ、文字や模様を描いている

  

Dsc_0342_2 孔雀の羽を思わせるドームの天井

Dsc_0346_2 ドームの内部 西陽に映える窓

2008年12月21日 (日)

すたれもの

今朝の「天声人語」は、野菜と料理の話題。

記者も野菜を作っていて、自分で天塩にかけて育てた大根は、葉っぱも皮も捨てがたく、刻んで炒め、ごまをまぶし、御飯にのせて食べているという。

振り返ると、昔から各家庭では、材料を無駄なく生かして使う料理が工夫されてきた。例えば、残り飯を日干しにした後、炒って砂糖としょうゆで味をつけものは、「お釈迦さまの鼻くそ」と名前が付けられ、お茶うけに用いられた。こうした料理を「すたれもの料理」と呼ぶのだそうだ。

ねずみととらの家では、野菜作りはねずみ、料理はとらと分担が決まっている。ねずみが手塩にかけて作った野菜でも、スーパーから買ってきた野菜と全く同じ扱い方である。それどころか、この野菜は虫に食われているとか、皮が硬いとか一言多い。天声人語記者宅の台所とは様子が違う。比べること自体が間違いなのだと気付く。

2008年12月20日 (土)

努力目標

春のようなぽかぽか陽気に促されて、窓ガラスの掃除を始める。1日1ケ所ずつ進めれば、年内には終わる計算である。もっとも、風呂と玄関、外回りなどもあるので、1日たりとも疎かにはできない。

夕方畑に行ったら、Aさんのサヤエンドウの支柱が完成していた。我が家のエンドウにも支柱立てをしなければならないと思っていたところで、先を越された。何とか年内には立てたい。

電車や飛行機で時間を持て余すようなときには、「数独」を楽しんでいる。先のイラン旅行にも問題を持参した。中には難問もあり、解けずに後回しにしたものもある。最近これらの難問に再挑戦し、年内完成を目指しているが、この目標達成はどうやら無理のようだ。

寒波が来たと言って風邪などひいている間はない。

2008年12月19日 (金)

解体工事

家の西隣で解体工事が行われている。狭い道路を挟んだ西側に、もう2~3年以前から使われていない2階建ての倉庫兼事務所が建っていた。12月に入ってからその建物の解体作業が始まり、既に作業は終了して更地になり、見晴らしが良くなるとともに夕陽が家の中まで射し込むようになった。しかし、これからは季節風が容赦なく窓をたたくようになるだろう。

この建物の北側には、随分大きな倉庫兼住宅があったが、これも解体工事が進み残骸の一部を残すだけとなって終わりに近づいた。解体により周囲の様子が大分変った。

建て替えのため、東隣のお宅が解体工事を始めたのは4月上旬であったが、すでにモダンな家ができあがっている。1年もたたない間に両隣の建物が解体されたことになる。間に挟まれたねずみととらの家は、これからも当分の間老体をさらすことになるだろう。

2008年12月18日 (木)

不況

今日に限ったことではないが、最近は不況に関する記事ばかりが目立つ。今日の主要経済記事を要約すると。

・クライスラー全工場操業停止   クライスラーは北米にある全30工場を、今年末から来年にかけ1ヶ月間、操業を停止すると発表。

・OPEC、ロシア 原油減産を表明     7月に1バレル147$の史上最高値を付けた原油価格が、現在では40$を割る状況。OPECは総会で8%(日産220万バレル)の減産を決定。

・ホンダも下期赤字     ホンダは、08年10月~09年3月期の営業損益が、約1900億円の赤字と発表。

・日産派遣社員0に     日産は09年3月までに全派遣社員との契約を打ち切り。

・キャノン工場着工延期     キャノンは、来年1月に予定していたデジタルカメラの新工場の着工を延期した。

・パナソニック、三洋電機株式の公開買い付け価格131円で決着。

・東京外国為替市場、13年ぶり87円台。

     

2008年12月17日 (水)

イラン⑧

イランの歴史に大きな足跡を残したサファヴィー朝は、1502年エスマーイールによって創設された。第5代のシャー(王)、アッバース1世は、軍事的にも、経済行政面でも手腕を発揮して、サファヴィー朝の最盛期を築きあげ、首都をこのイスファハンに移した。以降イスファハンは目覚ましい発展を遂げ、今日の基礎が築かれたといえる。

イマーム広場では、東側のマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー(王族専用のモスク)と、西側のアーリー・ガープー宮殿が対面している。このバルコニーを持つアーリー・ガープー宮殿は、1~2階の部分は、アッバース1世の時代に、また、バルコニーと3~7階の部分は、アッバース2世の時代に建造されたもので、イランで最初の高層建築といわれる。このバルコニーは、王が広場で行われるポロ競技を観戦するときなどに使用された。

Dsc_0219 ライトアップされた回廊の奥にアーリー・ガープー宮殿が見える

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宮殿内部の細密画

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最上階にある音楽鑑賞室

 音響効果をよくするための工夫が施され壁に見える多くの穴もその一つ

2008年12月16日 (火)

満月

無風・快晴の陽気に誘われ、昨日は午前中にウオークに出かけた。この春から、歩くルートを4つに分け、夏の間は一番短いNo.1のルートを歩いていたが、最近はNo.3のルートを通ることが多い。昨日は、設定したコースの中で一番長いNo.4のコースを辿り、丘の頂上で富士山の雄姿に見とれたりしたため時間がかかった。

コースの途中では、すれ違い・追い抜き・追い越されたウオーカーが予想外に多かった。ねずみととら同様、太陽の誘いに乗った人達だろうと思ったりした。

月が地球に接近していて、大きく見えるとのニュースを聞いて、数日前の満月の日は、デジカメを持参した。狙い通りコースの途中で大きな月が顔を出した。夕闇の中、水面の水鳥が月の影を長く歪めていた。

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2008年12月15日 (月)

忘年会

現役を引退してからというもの、「飲み会」に参加する機会は全く少なくなった。それでもまだ昨年は、勤務していた会社のOB会・○○校の同級会などに参加していたが、今年はそのような会合にも足が向かず失礼した。こんな態度が在勤中にも表面に出て、愛社精神不足の評価を受ける要因になったのかも知れない。

そんな1年の締めくくりに、昨日は、パソコン仲間で作っているクラブの忘年会に出席した。 この町に生まれ育った方、縁あってこの街に住むことになった方、南の方に、あるいは北の方に住んでいる方・・・・・歩んでこられた道は様々、全く利害に関係なくパソコンを通じて知り合い、世の中の進展に遅れまいと取り組んでいる面々である。それぞれの趣味も多様で、話の尽きない忘年会であった。

2008年12月12日 (金)

イラン⑦

イスファハンの最大の見どころは、中国の天安門広場に次ぐ世界第2の広場、イマーム広場だろう。アッパース1世がこの広場の建設に着手したのは、1598年である。彼は、政治・経済・信仰のすべてが集約された広場の建設を計画し、南北510m、東西163mの長方形の広場を囲むように、西側に宮殿(アーリー・ガープー宮殿)、東側に王族専用のモスク(マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー)、南側に大寺院(マスジェデ・エマーム)北側にバザールを配した。広場を囲む回廊には、絨緞・工芸品・土産物・宝石などを売る店が、所狭しと並んで観光客で賑わっている。

イスファハンに入った日の夕方、ライトアップされた広場の光景に圧倒され、翌日再度訪れ宮殿他を観光し、約1時間の自由時間に回廊を1周した。

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広場の南側から北を望む  左側の四角い建物が宮殿  右側のドームはマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー

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広場の北側から南を望む  ミナレットやドームはマスジェデ・エマーム

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アーリー・ガープー宮殿とマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー

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宮殿から上マスジェデ・エマーム

下マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー このモスクは王族専用のためアザーン用のミナレットがない

2008年12月11日 (木)

日の入り

静岡気象台が発表する”日の出””日の入り”の時刻を記録している。秋から冬にかけて日の入りの時刻はどんどん早まっていた。「秋の日はつるべ落とし」といわれる所以である。

日の入りの時刻は、11月29日に16時35分となったところで動きが止まり、そのまま13日が経過した。そしてついに、明12日は16時36分とこれまでより1分遅くなる。10日後の冬至を前に日の入りの時刻は、昼間の長さが長くなる方向に変わったことになる。季節は休むことなく動いている。

ちなみに、日の出の時刻は引き続きまだ遅くなっている。

2008年12月10日 (水)

イラン⑥

ヤズドから砂漠を越え約300km、今日の目的地イスファハンに着いたのは15時30分頃であった。イスファハンは、イラン高原で最大のザーヤンデ川の中流に、この川に育まれて発達した町である。シルクロードの要衝として紀元前から繁栄していたが、1597年サファヴィー朝のアッパース1世が、この地を首都に定めたことから栄華を極めることになった。

ザーヤンデ川は、イスファハンの西に連なるザグロス山脈に源を発し、イスファハンに多くの恵みを残して東に流れ、約100kmほどの地点で砂漠に消えてしまう。日本では考えられない河口のない川である。6月にイスファハンを訪れた方の紀行文を読むと、「川にはほとんど水がなく、川の中央に残っていた水溜まりに魚が苦しそうに泳いでいた。」とある。私達が水の流れを見ることができたのは、冬の雨季が近付き、訪れる数日前に雨が降ったおかげであった。

イスファハンの人口は120万人、世界遺産となっているイマーム広場の他、見どころの多い町で、次の2つの橋も観光名所となっている。

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ザーヤンデ川に架かるハージュー橋。

この橋は1666年、アッバース2世時代に完成し、長さが133m幅は12mで、2層構造になっていて上部にはテラスがあり、夏の夜には王が宴を催したという。橋のたもとにライオンの像があり、その周りを7回まわると結婚相手が見つかるとの言い伝えがあり、ライオンはいい艶をしていた。同行したメンバーの中に独身者がいて、早速周りをまわる羽目になった。歩いて対岸に着いたころにはライトアップが始まっていた。

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スィー・オ・セ橋

アッパース1世時代、1602年に完成した、長さ300m幅14mのこの橋は、上部のアーチが33あることから、ペルシャ語で33を現す「スィー・オ・セ橋」呼ばれる。南北の中心街をつなぐ位置にありながら車は通れない。早朝ホテルから散歩に出かけたときの風景である。土手の花壇は真っ白に霜が降りていた。

2008年12月 9日 (火)

愚息一家が引越しをした。子供の使っていた机が不要になったので、引き取ってほしいとの話があり、引き取ることになって昨日椅子とセットで持ち込まれた。またもや”お上がり”現象で、それでなくても整理が進まない家の中に更に家具が増えてしまった。

例年の大掃除は、平時の掃除よりほんの少しばかり時間をかける程度で済ましていた。持ち込まれた机のおかげで、部屋は足の踏み場もない状態になり、現在も混雑が続いている。夕方からようやくパパソコンだけは使えるようになった。

一つ家具を動かすと、連鎖的に次々に動かす必要が生じ、部屋の模様替えと大掃除が同時に進むことになった。古びた学童机のとんだ闖入であった。

埃まみれになったせいか最も恐れていた風邪の症状が現れた。しかい、これはやはり寒波のせいだろう。

2008年12月 7日 (日)

イラン⑤

ヤズドから次の観光地イスファハンまで、約300kmはバスの旅である。バスは45人乗りの大型車、2座席を1人で利用でき、道路も整備されているので快適である。問題は途中トイレがないこと。

ヤズドのホテルを9:00時に出発し、昼食のレストランに到着したのが12:00時。この間日本のようにサービスエリアとか道の駅など利用できる設備は全くなく、青空トイレとなる。女性の方には多少抵抗もあるだろうが仕方がない。両側にピスタチオの畑が続くところでバスが停車、添乗員の「男の方はバスの後ろの方に、女性の方は前の方に進んでください。」の声に促されそれぞれ姿を消した次第。ピスタチオは殆んど葉を落としていたが、来年この畑の収量は少し増えるかもしれない。

Dscn3068 青空に伸びるピスタチオ

バスから眺めていると、道端で農産物を売る農民の姿を見かける。ザクロ売りをガイドが見つけ、買い求めて我々に1個ずつ配ってくれた。この近くのアクダ村はザクロの産地として有名という。

Dscn3074 ザクロを選んでいるガイドとザクロ売りの小父さんそれにバスのドライバーさん

イランにも発達したシルクロードには、人やラクダが1日で到達できる距離毎(約30km)に、キャラバンサライ(隊商宿)が設けられていた。イスファハンまでの途中、山々に囲まれた砂漠の中に残る、17世紀に建造されたキャラバンサライを見る。現在は廃墟となっているが、ホテル兼レストランに改装し再利用する案が検討されているようだ。実現の可能性は?

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このような砂漠地帯に設けられたキャラバンサライの生活用水は、山の麓のオアシスからトンネルを掘り導水していた。写真はキャラバンサライの近く、導水トンネルが地表に出た部分。導水トンネルは長いものでは50kmに及ぶということである。

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また、ここには往時の住人の居住跡やお墓がある。新しいお墓が見られるのは、この付近に新しい村があるためで、墓だけは現在も使われているようだ。この居住跡がここではトイレの役を担ってくれた。

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途中 バスからの風景

2008年12月 5日 (金)

イラン④

今回のツアーで訪れた主な都市と観光地は、テヘラン・ヤズド・イスファハン・シラーズ・ペルセポリス・パサルガダエなどである。(他にカタールのドーハ) イランには8個の世界遺産があり、うち3個を観光した。以下ツアーの見どころなどを拾い上げて紹介したい。

ヤズド

イランのほぼ中央に位置し、日干しレンガ造りの家が並ぶ砂漠都市である。BC550年に成立したアケメネス朝時代から、国教であったゾロアスター教(拝火教)の中心地であり、今なお教徒が住んでいる町である。主な見どころは、沈黙の塔・ゾロアスター教拝火神殿・金曜日のモスク・広場など。

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沈黙の塔から見るヤズド市街  右手前のレンガ造りの建物は葬儀など儀式が行われたところ                                                                    

                         

沈黙の塔(ダクメ):ゾロアスター教徒の墓

ゾロアスター教は、死体が火を穢すとして火葬をせず、同じ理由で土葬・水葬もしない。死体をダクメと呼ぶ祭壇に置き、野鳥がその死体をついばんで骨だけが残り、やがて骨も土に還るという考えで、鳥葬が行われていた。ダクメは50mほどの丘の上にあり、向かって左が男性、右が女性のもの。葬儀が行われた建物から上に一般の人は登ることができず、僧侶が死体を担ぎあげた。1930年代に鳥葬禁止令が出され、現在は行われていない。ダクメはイラン各地に点在していたものの、国内で現在も往時の姿で残っているのは4ヶ所という。

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上:ふもとから見上げたダクメ(男性用)   

下:ダクメの内部 直径10m程の円形の石垣で囲まれ、観光客が立っている石畳の上に死体が並べられ約1週間で白骨化した  骨は中心の穴に埋められた。

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ゾロアスター教神殿(アーデシュキャデ)

アーデシュキャデとは「火の家」という意味で、建物自体は新しいが、1,500年以上前から絶やされたことのない聖火がガラスケースの中で燃えている。(燃料は木との説明)  聖火の写真は上手く撮れなかった。

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庭から見た神殿

 

金曜日のモスク(マスジェデモスク)

14~15世紀に建造されたヤズドのシンボル的モスクで、イスラム建築の傑作のひとつに数えられ、ミナレットの高さはイランで最も高いものである。1日に5回アザーン(お祈りを促す知らせ)が流れる

Dsc_0075 モスク正面の道路から  2本のミナレットが存在感を示す

広場の風景と下はバス通りに面した旧市街(バスの中から)

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2008年12月 4日 (木)

イラン③

イランと国境を接する国は、時計回りに(カスピ海)・トルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・(ペルシャ湾)・イラク・トルコ・アルメニア・アゼルバイジャンの7ヶ国である。一見しただけで「治安は大丈夫?」と質問が出てもおかしくない。民主主義の国インドで大規模なテロがあり、タイでは空港閉鎖事件が起きた。100%安全な国(地域)はあり得ない。そんな中でイランは他の国に比べ安全度の高い国ではないかと思う。

どこの空港でも手荷物検査は厳しい。鞄や、身に着けている金属類は全て取り出して、検査機を通さなければならない。空港での出来事。検査機を通しOKとなった後、Aさんは最も大切なハンドバックを、また、Bさんは、娘さんからプレゼントされた高級腕時計を、検査後の荷物受取場所に置き忘れてしまった。(Aさん・Bさんそれぞれ別の空港でのこと)。

AさんBさん共に離陸する前に気がつき、バッグも時計も無事戻った。ヨーロッパの空港なら多分戻らなかったろうし、日本の空港でも?が付くのではなかろうか。

各観光地で出会った中・高校生達に、「ハロー」と呼びかけるとすぐに答えが返ってくるし、先方から同様に呼びかけてくることも多く、非常に明るい感じを受ける。

イラン人は顔の彫が深く鼻が高いしまつ毛が長いので、美男美女が揃っているように見える。しかし、イラン人の間では、高すぎる鼻に悩んでいる人もいるそうだ。また、左右の眉毛が一直線につながっている男性を見かけた。砂漠の生活でほこりを防ぐため眉毛が発達した砂漠の民の子孫かも知れない。

Dsc_0177 イスファハン 金曜モスクの近郊

Dsc_0402 シラーズ ローズモスクの近郊

Dsc_0463 エラムガーデン内で写生する高校生 多くの学生が写生をしていた

Dsc_0516 シラーズの街角

イラン女性に「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねると、多くの場合 「NO」である

子供を写すことにして「OK」を貰った

Dsc_0676 ペルセポリス 修学旅行中?の高校生

2008年12月 3日 (水)

イラン②

カタール航空に変更となったため、往復ともドーハを経由した。例の「ドーハの悲劇」の地である。乗り継ぎに7時間余の時間があったので、一時入国してドーハ市内を1巡した。歴史的に見るべきものはないが、市内は至る所で建設ラッシュ、車は渋滞、オイルマネーの実力を感じた。アラブのCNN,アルジャジーラ放送局もドーハにある。

今回のツアー参加者は、男性9・女性11・男性添乗員1・合計21名で、殆んど首都圏在住者であったが、北海道と高知から各1名参加された。これまでに参加した海外ツアーでは、それぞれの空港・ホテル・観光地で、必ず他の日本人ツアー客と出会ったが、今回は逢わなかった。イランを訪れる日本人は少ないのかも知れない。

さて、テヘラン空港にいよいよ到着し飛行機から出るまでに、女性はイラン人・外国人を問わず全員ショールを頭に被らなければならない。それがイランの定めである。

空港での入国手続きに当たり、我々グループは別室に呼ばれ指紋を採取された。余り気分の良いものではないが、日本でも外国人の入国に際しては、顔写真を撮り指紋を採取しているということだから致し方ないことだ。

空港での次の仕事は両替である。取り敢えず日本から用意した米ドルをイラン通貨のレアルに交換した。1ドルが10,180レアルである。10ドル紙幣4枚を出したら、札束が返ってきた(407,200レアル)。一気に大尽気分となった。大略1ドル10,000レアル、100レアル=1円である。因みに、イランではアルコール類は禁止されており、ノンアルコールビール1本(小瓶)2ドルが相場である。

Dsc_1043 早朝のテヘラン空港

2008年12月 2日 (火)

イラン①

イランは核開発問題などを中心にアメリカと激しく対立し、アメリカから悪魔呼ばわりされると共に経済制裁を受け、他の産油国が原油価格の高騰で潤っているのに対し、価格高騰の恩恵を受けられずにいる。そんなイランを旅してきた。

イランの面積は日本の約4.5倍、人口は約7,000万人である。首都テヘランは東京とほぼ同じ緯度にあるが、標高は1,200mと高いので夜は冷える。市の北側、カスピ海との間に横たわるアルボルズ山脈の山々は、訪れる数日前の降雪で真っ白に雪化粧をしていた。

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上:テヘランの国際空港に向かうバスから   画面のずっと左手に、富士山に似たイランの最高峰ダマーヴァンド山(5,604m)がある  

下:北の郊外、パフラヴィーの夏の離宮から

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今回の旅行は、当初イラン航空を利用することになっていたが、カタール航空に変更になった。イラン航空は機体整備用の部品が経済制裁のため入手できず、整備不良が欠航の原因という解説者の声? であったが、真偽のほどは分からない。しかし、経済制裁の影響は大きいようだ。

2008年12月 1日 (月)

餌付け

ウオーキングをしているいつもの公園に、写真の看板が目立たないところにひっそりと立っている。物知りさんの解説によると、この看板はもっと目立つところに何本か立っていたのだが、動物愛護者とか猫愛好家からの異議申し立てにより、現在の姿になったのだそうだ。

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最近渡り鳥の飛来する湿地や湖で、餌付が問題になっている。つまり、インフルエンザの予防か野鳥の愛護か意見が交錯している。 

ここでは健康を最優先にすべきで、餌付の中止、延いては来年以降野鳥の減少も止むを得ないと思う。ウオーク中、猫や野鳥に餌を与えている姿をよく見かけるが、如何なものだろうか。

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