« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

2012年10月31日 (水)

尖閣問題

中国のレアアース企業の経営が悪化し、苦境に立たされているという。中国は世界のレアアースのほとんどを独占してきた。2010年に尖閣沖で発生した漁船衝突事件を受け、対抗処置として中国は日本向けの輸出を一時停止し、昨年夏には価格が10倍以上に高騰した。

最大の需要国である日本は、代替品の開発を進める一方、調達先を中国以外に求め対応してきた。そこに世界的な不況で需要減少が加速、経営悪化の要因となった。

今回の尖閣問題で受けた日本経済の打撃は、レアアース事件などとは比較できない大きさだし、対中ビジネスが壊れ、日本が受けたのと同様に中国経済も打撃を受けた。日本の企業が中国を脱出する動きが加速すれば、中国はより深い傷を負うことになる。尖閣問題は両国にとって全く意味のない無駄な対立といえる。

もっとも、日本人が全て悪者のような映画が、毎晩のようにテレビで放送されている状況では、解決は難しい。

2012年10月29日 (月)

ジャイアンツ

プロ野球巨人・阪神戦といえば、かつては人気カードであったけれども、近年は実力に差がついて人気も落ちた。今年のワールドシリーズは、ナ・リーグのジャイアンツとア・リーグのタイガースが対戦している。先程のニュースでは、3連勝したジャイアンツが、デトロイトで第4戦も制して、2年ぶり7度目のチャンピオンとなった。

日本シリーズでもジャイアンツが2連勝、この分ならワールドシリーズ同様ジャイアンツが4連勝し、日・米揃ってジャイアンツが頂点に立つかもしれない。

2012年10月28日 (日)

Windows8

何でもそうだが古くなったものは動きがスムースではないし遅い。今使っているパソコンは、XPが発売になって直ぐに買ったもので、その後メモリーの増設など対応はしてきたものの、動きが遅くイライラして精神的によくない。

26日に発売されたWindows8は、機敏な動きが特徴とのことなので、早速午後量販店に出かけた。店頭に展示してある商品で「再起動」をしてみたけれども、期待したようなスピード感は得られなかった。何れにしてもまだ発売されたばかりであり、8熱が少し下がってから購入を検討することにした。

毎月2回開催しているパソコンクラブの第149回例会が午前中にあった。参加者14名のうち8名が女性で、スタート以来初めて女性の数が男性を上回った。街はずれの公民館で行なわれるささやかなパソコンの集まりであるけれども、ここでも女性優位となってきた。

2012年10月27日 (土)

イタリアの裁判

イタリアで最近判決のあった2件の裁判が話題となっている。

その1. 2009年4月、イタリアの中部ラクイラで起きた地震では、300余人が犠牲となる大きな被害となった。当時ラクイラでは小規模の地震が続いていたため、トップレベルの科学者たちが状況を分析した上「地震活動はラクイラに危険を与えない」と発表した。しかし、その6日後に大地震が発生した。そして、この科学者らが「的外れの分析をした」として訴えられ、裁判では求刑を上回る厳しい判決となった。

科学者の多くは不当な判決と指摘しているという。これからは裁判を恐れて、専門家は発言をしなくなるだろうしと危惧される。

その2.ベルルスコーニ前首相は、巨額税金詐欺事件の裁判で、禁錮4年・公職追放5年の判決を受けた。求刑は禁錮3年8ヵ月だったから、こちらも厳しい判決である。前首相は、汚職や未成年買春など20件を超える事件で起訴されたり捜査の対象となったりしてきて、今回の判決でも「犯罪について天賦の才がある」とも記されてそうだ。

2012年10月25日 (木)

新東名

4月14日に新東名が開通して半年が過ぎた。中日本高速会社は新東名の平均交通量を、1日当たり41千台、静岡県内で発生した10km以上の渋滞は、この半年間で11であったと発表した。東西の交通に大きな効果の出ていることは確かである。

過日金時山に登った折、初めてこの新東名を利用した。前回高速道路を走ったのがいつだったか忘れてしまったほどで、高速の走りに多少心配な面もあったけれども、道幅は広いしカーブや坂は緩やかだし、更に車も少なく大変走り易かった。

近日中にまたどこかへドライブしたいものと思う。

2012年10月24日 (水)

温泉

毎朝ウオーキングに励んでいるAさんの報告によると、今朝の公園の温度計は7℃を示していたそうだ。紅葉も進み、温泉の恋しくなる季節となった。こんな時期には週に1度ぐらい、温泉に浸りたいと思うけれども、わが家で発行する赤字債など誰も買ってはくれないから、それは夢物語である。机上で旅行計画でも立てながら、温泉気分を味わう以外にない。

「行って良かった温泉」を尋ねたアンケートで、解答のあったベスト10は、箱根・草津・別府・道後・有馬・登別・由布院・城崎・指宿・熱海である。記憶では、有馬・登別・指宿以外は訪れているけれども、大きなホテルが立ち並ぶ大温泉地よりは、山奥深くたたずむ宿で、熱すぎるほどの温度の湯に、しかも、かけ流しの豊富な湯量の温泉にゆっくり入るのが好きだ。もちろん景色が良く、おいしいご馳走が食べられ、ハイキングコースなどがあれば最高である。

上記アンケートでは、1.泉質・効能  2.宿泊施設  3.街の雰囲気  4.景観  5.名物料理 を温泉判断の重点ポイントに上げている。

2012年10月23日 (火)

金時山

冒険家の三浦雄一郎さんが、80歳の誕生日を迎えるに当たって、世界最高峰エベレスト山の登頂を目指していると報道された。三浦さんは70歳のときと75歳のとき、エベレストの登頂に成功していて、今回は3度目の挑戦となる。

この記事に刺激を受け、日本の最高峰という訳にも行かないけれど、せめて近くの、景色のいい山に挑戦しようという気になった。手始めに箱根の金時山を選んだ。この山の標高は1213mで、公時神社登山口からの標高差は約480mである。

案内書によれば、このルートの所要時間は1時間30分となっているが、約2時間かかってようやく山頂にたどり着いた。スタート時点では晴れていたのに登るに従い薄雲が掛かってきて、山頂に着いたときは富士山は雲に隠れてしまった。それにしても予想外に登山者の数が多く、人気のある手頃な山ということなのだろう。

途中でハップニングが起きた。数年ぶりに物置から引っ張り出してはいたとらの登山靴が、右足のかかと・左足のかかと・左のつま先・右のつま先の順に底が本体からはがれ、初めはひもで縛りつけて歩いていたものの、そのうち底が全部とれてしまった。下山するまで靴が持つかどうか心配であったが、何とか下山できたのは幸いであった。残ったスポンジの部分に小石がはまり、歩きにくかったようだ。「安物を買ったのだろう」と言ったら、とらは「そんなことはない」と反抗していた。

Pa222869001

山頂に着いたのは11時30分 着くまでに両足の靴の底がはがれてしまった

Pa222865

昼食を食べているときつかの間姿を見せた富士

Pa222855

登山道の脇で見つけたリンドウ

Pa222882

(山を下りて) 仙谷原のススキを楽しむ観光客

Pa222883

2012年10月21日 (日)

ある意見

アメリカの政治学者で1969年生まれのイアン・ブレマーさんによると、日本は中国に対し、中国に責められるきっかけを自分から与えてはならないのに、尖閣問題で与えてしまった。日中関係は新しい状態に入ったという。

アメリカやヨーロッパ、日本などの自由な市場経済に基づく資本主義に対し、中国・ロシアなどは国営企業を使って市場を支配し、国家に富を吸収して政治体制を維持する、国家資本主義が対立している。また、アメリカと中国の関係は、お互いに対立はないというふりはしているが、愛情がなくなった夫婦のようなもので、夫はソファーで寝て妻は寝室で寝ている。誰かが客として訪れたら、すべてはうまく行っているように装っている。当分の間両国は友人になれないし、かといって敵にもならないと述べている。

そして、この対立から何が本当に重要なのかに焦点を合わせ、日本政治が変わるきっかけにしなければならないとしている。

2012年10月20日 (土)

マララさん

マララ・ユスフザイさんの意識が16日回復し、筆談ができるようになった。まだ危険な状態を脱していないが、経過は順調と報道された。本当によかったと思う。マララさんののどには、まだ気管切開チューブが入ったままの状態だし、頭蓋骨の復元手術なども必要らしい。

マララさんは先週の火曜日、通っていた中学校から帰宅するためスクールバスに乗ろうとしたところを複数の男に銃撃され、頭部と首に計2発の銃弾を受け、意識不明となっていた。この事件でパキスタン・タリバン運動(TTP)が犯行を認める声明を出している。

彼女は女子教育を禁止するタリバンに抗して、女性教育の権利を訴えた。パキスタン政府は彼女の本名を公表したうえ「勇気ある少女」として表彰し、また、彼女は政府主催の講演会にも出席し、女性の権利などについて語っていて、ターリバーンから命を狙われる存在となっていた。

わずか15歳の少女に向けられたこの凶行に対し、パキスタン国内はもとより、世界各国からも非難の声が上がっているという。当然のことだ。

2012年10月19日 (金)

脚力

夕方5時、蓮華寺池公園の温度計は16℃であった。数日前までは22~23℃で、急ぎ足で冬が近づいている。

毎年9月に胃カメラの検査を受けているが今年はまだだ。もう10月も半分以上過ぎてしまったので、検査の予約を取るため病院に行った。秋空の下、足の運動を兼ね自転車で往復した。以前から駿河台の登り坂は脚力のテストになると思っていたが、今回はこれまでになくきつい登りに感じた。歩くことなく何とか漕いで登り切ったけれども、次回(何時になるかはわからないが)も同じように登れるか自信はない。

市内に住む会社の先輩が久しぶりに見え、1時間ほど雑談したけれども、話題は自ずと健康に集中した。

2012年10月17日 (水)

食事

海外旅行の楽しみは、国内では体験できない大自然や遺跡の観光、人々とのふれあい、思いもかけないsurpriseなど、多彩で1週間や10日はたちまち過ぎてしまう。食事のまた楽しみの一つである。

ウイグル地区の食事は、総じて辛味が強く、調理法としては油いためのような料理が多いため、日数が重なるに従い新鮮な野菜が恋しくなる。ウルムチからカシュガルまでは飛行機で約2時間の距離だけれども、料理の内容は殆んど変らないと思った。世界でも海から最も離れているとされるこの地域、やはり魚料理はお目にかからなかった。

日本から食料は持参しなかったし、現地の食事に困ることはなかったけれども、旅行中最もおいしく頂いたのは、全員が揃っていただく食事では最後の食事(8日目の昼食)「しゃぶしゃぶ」であった。全メンバーがここでは満腹感を味わった筈である。最後の食事にこのようなレストランを利用するのも、旅の印象を良くしようとする旅行会社の演出なのかもしれない。

旅行中、9月16日に誕生日を迎えた方がおられ、少し遅れて20日に旅行会社の主催で誕生パーティが開かれた。皆さんでケーキをいただく。新疆はイスラム圏だけれども、アルコール類は自由でビールは飲める。(30元程度)

Dscn6019

旅行2日目 ウルムチ空港内レストランでの昼食 新疆地区でのウイグル式食事のスタート

Dscn6106

旅行3日目 ケリヤで 新疆名物「シシカバブ」

P9192467

5日目カシュガルの夕食

P9202479

朝食はバイキング このホテルは比較的品数が多かった

P9222829

P9222831

話題のしゃぶしゃぶ 肉は牛と羊

P9162176

ウイグル族の民家(クチャ)での夕食 果物や木の実が豊富 甘い菓子などがある 麺は自宅で手で引きのばして作る (下の写真)

P9162179

P9162180   

2012年10月16日 (火)

砂漠の民 さまざまな生活 2

P9212695

ウイグル族にとって絨緞は必需品のようだ しかしこの絨緞屋さんには客の姿は見えなかった 絹の手織り品などはびっくりするような値段である

P9182346

街を歩いていて見つけた歯医者さん 窓越しに撮影 清潔そうに見えた

P9192429

床屋さん 声をかけて撮らせてもらう

Dscn6165

「久しぶりだね 元気かね!」とでも言っているのか

P9182345

行き交う庶民の顔

Dscn6085

タクラマカン砂漠の真ん中 縦断ハイウエーに面した村の親子

P9202600

カラクリ湖付近に住むキルギス族の住まい「パオ」

P9202597

写真ストップをすると直ぐに土産物売りがやってくる この付近には全く人家らしいものがないのに

Dscn6294

イスラムの掟に「喜捨」がある これは?

P9202506

「ナン」やさん 焼きたてを売っている 窯は独特の物 一般のナンはもっと平べったい

Dscn6173

街角の焼きそば屋

P9212687

楽器屋さんの店先に並ぶ化粧が施された瓢箪

2012年10月15日 (月)

砂漠の民 さまざまな生活

ウイグル族の街に流れ込んで約1週間、やたらにシャッターを切りカメラに収めてきた。その中の何枚かを、順不同で並べてみる。

P9162074

公園で行われるイベントに出場する人たちの準備光景 民族衣装を着、化粧をしていた

Dscn6306

男性用民族衣装

Dscn6179

バザールが開かれている通りの雑踏

P9192409

とにかくバイクは庶民の足だ このバイクにイヌは乗っていなかった

Dscn6209

ロバ車も交通手段の一つ

P9202652

G314号線 超ロングトレーラー・バス・定員オーバーのロバ車が一緒に走る

Dscn6085

タクラマカン砂漠ハイウエー沿線の村の親子

P9162162

砂漠の夕暮れ クチャ

P9202477

カシュガルの夜明け 午前8時 東の空が少し明るくなってきたけれど星も瞬いている

P9192470

カシュガルの夜 ホテル近くの広場 

2012年10月14日 (日)

バザール

「タクラマカン砂漠縦断ハイライト」の旅では、ウルムチ・ホータン・カシュガルのバザールや街道の小さな村で、庶民の生活に触れてきた。それはそれで大変興味があったけれども、街の中をゆっくり散策しながら、オアシス都市の実態を見ることができたら、もっとよかったと残念に思える。行程が詰まっていてそうした時間がなかったことが要因だけれど、尖閣問題から「単独行動は慎んでほしい」との添乗員の要請もあって、単独での街歩きはできなかったのだ。

今日、本屋さんの帰り本町商店街を歩いたが、日曜日だというのに多くの店はシャッターを下ろし、歩道にも、開店しているい数少ない店の中にも、人の姿を見かけることはなかった。シルクロードのバザールの混雑と、藤枝のシャッター通りと、単純に比較しても意味はないが、余りの格差に言葉もない。

P9182335

P9182342

P9182332

上の3枚はホータンのバザール 歩道といわず車道といわず屋台が並び賑わっている  流石に車道の中央分離帯寄りの車道は車が走っている 警官もお手上げの様子だ 

P9172217

タクラマカン砂漠縦断道に現れた小さな村のバザール 無造作に積まれたスイカ

P9202504

カラクリ湖に向かう道中 休憩した村で

P9212679

カシュガル 香辛料を売る

P9212689_2

カシュガル 八百屋の店先

P9212692

カシュガル 漢方薬屋 やはり客は男性の老人のみ

P9212718

クルミ・レーズン・アーモンド・ナツメなどの実が並ぶ

P9162078

ウルムチ 空港の売店 店員も包装もバザールとは違う

2012年10月12日 (金)

時差

日本と中国の時差は1時間である。従って中国を旅行しても、時差ボケが起きる可能性はない。もっとも最近は相当老化によるボケが進んでいるから、時差の大きな地域に出かけても、時差ボケは起きないかもしれない。

旅行の最終日、ウルムチで利用したバスの時計は、中国の標準時よりも2時間遅れていた。中国は広い国土を持っているものの、東の端から西の端まで時間は統一されていて時差はない。従って西の端にあるカシュガルでは、日の出が8時半を過ぎていたし、日の入りも遅く午後9時近くまで明るい。学校の始業時間が8時だとすれば、日の出前に登校しなければならないことになる。そのために標準時とは別に、実質的に2時間遅い地方時を使用していて、バスもその時間を表示していたのだ。

地球上の各地は360度に分割され、経線が引かれている。また、1日は24時間=1440分であから、経度が1度違えば4分の時差が生じることになる。東京は東経139度、北京は116度だからその差は23度となり、経度上の時差は92分=約1時間30分と計算できる。

日本の東の代表釧路は東経144度、西の長崎は130度、従って時差は56分=約1時間である。中国では東部の代表にハルピンを選ぶとハルピンは127度、西の代表カシュガルは東経76度でその差51度、時間にすると204分=約3時間20分の時差となる。一つの時間では無理があるように思う。

2012年10月11日 (木)

カシュガル 2

旅行も7日目、終わりに近くカシュガル市内の観光。

カシュガルのウイグル族がイスラム化したのは、10世紀ごろといわれているが、1442年に、8世紀ごろに立てられた古い建物を活用して、「エイティガール モスク」が建てられた。このモスクは今でも中国で最大のモスクである。左右に高さ18mのミナレットを持つ正門を入ると中庭があり、そこには木製のやぐらのようなものが立っている。アザーンを唱えるミナレットの原型らしい。その奥に東西19m、南北140mの拝殿がある。拝殿の中には入れなかったが、外側の拝殿には緑色に塗られた140本の木製の柱が立ち、経過した年数の長さがにじんでいる。床には礼拝用の絨毯が敷き詰められていた。

観光のもう一つは「アパク・ホージャ・マザール」、別名「香妃の墓」。この墓は1670年に創建されたもので、16世紀末に活動したイスラム教の指導者「アパク・ホージャ」とその家族72人が埋葬されている。

1760年、清の乾隆帝はウイグルに攻め入った折り、ある晩西域の美女の夢を見た。皇帝はあらゆる手を用い、八方手を尽くして見つけたのがホージャの娘「香妃(容妃・メムラエゼム)」。彼女は聡明で、美しく、香水も付けないのに身体からスナナツメのかぐわしい香りが漂っていたという。そして彼女は26歳で都に召された。

彼女は日夜皇帝の求愛を受けたものの皇帝を拒み続け、西の空を見上げては生まれ故郷を偲んでいた。皇帝はカシュガルからスナナツメを運ばせて植え付けたり、お付きの者にカシュガルの音楽を奏でさせたり、また宮殿の中には青いタイルのお風呂まで作ったりして、妃の心を溶かそうとしたが、香妃の心を開くことは出来なかったという。

そして香妃は自ら死を選んだ。遺体は3年かかりでカシュガルに送り返され、母の隣に眠っているのだそうだ。このような伝説から「アパク・ホージャ・マザール」は、「香妃の墓」と呼ばれることになったけれども、この伝説はフィクションとの説があり、実際に香妃は乾隆帝の寵愛を受け平穏に暮らし、北京郊外の清東陵に葬られているとも。

P9212670001

広場に面したモスクの正門

P9212672

青い柱が目立つ礼拝所

P9212703

香妃の墓   香妃の棺は右奥にある

2012年10月10日 (水)

カラクリ湖

旅行6日目、パミール高原のドライブとなるカラクリ湖観光へ向かう。天気は晴れ。G314号を進むと、白く雪を被った山々が姿を変えながら次第に近づき、いやがうえにも期待が高まる。

カラクリ湖とは「黒い湖」という意味だそうだ。面積は約10㎢、日光の中禅寺湖が約12㎢だから中禅寺湖より少し小さく、水深は30mとある。旅行案内には、カラクリ湖からは7719mのコングールや7546mのムズターグ・アタなどの雄姿を見ることができるとある。しかし、残念ながら雲があり全容を見ることはできなかった。

標高3600mといえば富士山頂に近く、高山病にかかる恐れもある。かつて富士山に登ったときや九寨溝でも南米ボリビアでも高山病になった。150元で酸素枕が売られていたけれども、今回は使うことなく切り抜けることができた。滞在時間が短く、激しい運動などすることもなかったので。

P9202600

「間もなく着きます」のアナウンス後 行く手左側にカラクリ湖が見えてくる

P9202616

展望台から見て左手 湖面の向こうに雪の山が拡がる この中にコングールが見えるはずなのだが

P9202624

展望台の右手方角 ムズターグ・アタは山頂を隠してしまった

P9202510001

カシュガル発って間もなくの車窓外

P9202524

姿を変えながら山々が近づく

P9202526

時間調整のため停車したところからの遠望

P9202530

P9202560

P9202641

以上3枚 車窓から

P9202591

途中にある湖で写真ストップ

P9202642

切り立った崖の道で大型トレーラーとすれ違う

P9202645

検問所で検問を待つ車(パキスタン方面に向かう車)の列

P9202504

  ウパール村の通り スイカなどを買いトイレタイムを取る

P9202533

焔のような岩肌で有名な「火焔山」を思わせる赤い山

P9202573

カラクリ湖付近には遊牧民族のキリギス族が住んでいる 道端でバスを見送る子供

 

2012年10月 9日 (火)

絵はがき

いつもお世話になっていて、今回の旅行でも利用した旅行会社は、旅行中の早い段階で絵はがきをくれる。勿論現地から日本へ出すために必要な切手が貼ってある。絵はがきを貰い、とらはいつも旅先でしているのと同じように、自分宛に自宅の住所を書いてホテルのフロントに投函を依頼した。

その絵はがきが中々届かず、紛失してしまったものと諦めていた。そんな矢先、問題の絵はがきが今日配達された。とらの友人からも電話が入っていたから、友人宛の絵はがきも今日届いたのだろう。投函を依頼したのがホータンのホテルで、9月18日であったから、3週間かかったことになる。やはり中国は広いと見るべきか、日中間の隔たりが大きいと見るべきか。幸い絵はがきは届いたけれども。

砂漠の夢を見ている間にも季節は確実に進んでいる。足が冷たくて目を覚ました。いつものように5時半に起きだしたが、新聞を読むにも照明が必要になった。明日の静岡の日の出は5時48分、日の入りは17時18分で、このところ毎日2分ずつ昼間の時間が短くなっている。

2012年10月 7日 (日)

カシュガル(喀什)

カシュガルは中国で最西端の街であり、天山山脈の麓に位置し、100kmほど北はもうキリギスである。世界で最も海から離れた街とされ、人口は約35万人、モモ・ブドウ・アンズ・イチジクなど豊富な果物の産地である。近年の記録から、年間平均の最高気温は18℃、最低気温は6℃、降水量は64mmとなっている。

カシュガルからG314号を南西に約200km走ると、今回旅行の目玉であるカラクリ湖に至り、更に南に向きを変え約500kmで、パキスタンとの国境にある標高4943mのクンジュラブ峠に達する。いわゆるカラコルムハイウエーである。

案内書などによればカラコルムハイウエーは、曲がりくねった難所の多い、険しい山道との印象が強い。しかし、カシュガルとカラクリ湖間に限れば、日本各地で観光ルートとして利用されている「○○スーパー林道」の方が、険しい山道であるように思う。というのも急峻な岩山を切り開いて作った道というより、河原を走っているという感じだからだ。(この川の名前は「ゲイズ川」というらしい) 標高はカシュガルが1200m、カラクリ湖が3600mであり、標高差は2400mなのに対し、距離は200kmある。計算上では1km当たり12m登るに過ぎない。要はカラクリ湖を過ぎてから本格的な山岳道路となるのだろう。

カラクリ湖に向かう途中にウパール村があり、野菜や果物を売る屋台が両側に並んでいる。ここでトイレ休憩、トイレの使用料は2元であった。バス旅行が始まりここまで小さな村々を沢山通過してきたけれども、トイレを利用したのはこの村が初めてで、青空で済ましてきた。そうした村には利用できるようなトイレがないのだろう。ガイドがハミウリとスイカを買い、カラクリ湖でご馳走してくれた。

また、暫く進むと検問所があってパスポートの検査がある。クンジュラブ峠の国境には検問所はなく、ここが国境越え旅行者の検問所となっている。

2012年10月 6日 (土)

G315号

旅も5日目、ヨージョーで昼食をとった後再びバスに乗り込む。ヨージョーからカシュガルまでは、G315号とほぼ平行に高速道路が開通している。しかし観光予定のヤルカンドはこの高速道路から離れているので、G315号を走らなければならない。高速が完成した区間のG315号は、メンテナンスが行われてないらしく、傷みがひどく相当の悪路であった。乗客もドライバーも悲鳴を上げていたけれど、それ以上にバスも悲鳴を上げていたに違いない。

ヤルカンドの観光を終え、暫く悪路を走ってようやく高速に戻り、今日の目的地カシュガルに着いて夕食にありついたのは、午後9時近くであった。

P9192383

まだ高速道路が完成していない区間のG315号 整備された道路が砂漠の中を一直線に伸びている この道路には給水設備はなかった 中国は右側通行でありこの写真はバスの後ろの窓から撮影した

P9192390

この道路の沿線には小さな村落が点在している 名前は解らないがこれもその一つ スズキの車が止まっていた

P9192387

ロバ車が家族?を乗せて通る姿をよく見かける

P9192438

この道路では身体を隠すような茂みはほとんどない そこで無人小屋のようなもののあるところが休憩地となる そして「男性は左側・女性は右側 道路を横断するときは車に注意!」となる 我々が出発しようとしたら次の観光バスが後ろに止まり乗客が降りてきた

P9192449

カシュガルまで57kmの標識 この辺の沿線では綿やトウモロコシの畑が多い(次の写真)

P9192457

P9192445

雪を被ったカラコルム山脈がバスの左手遥かに見える 

2012年10月 5日 (金)

ヤルカンド(莎車)

ホータン~カシュガルのほぼ中間に、人口約35万人のヨウジョウ(叶城)がある。チベット自治区から伸びて来るG219号線と、今日走ってきたG315号線がこの街で交わる。昼食ごレストランの外に出ると、歩道には玉を売る露店の屋台商が店を広げていた。ヨウジョウはまた、世界第2の高峰K2(8611m)の中国側登山基地でもある。

更に1時間ほど走ると、崑崙山脈の雪解け水を集めたヤルカンド川を渡り、人口約60万のオアシス都市ヤルカンドに入る。ヤルカンドとは「大きな地域」という意味だそうだ。ここではヤルカンド・ハン王国(初代王は1514年ごろ)の、王陵・アマニシャーハンの墓・アマンニサハン王妃の墓などを観光する。

アマニシャーハンはアブドリシチ王の妃で、1526年に生まれた。彼女は傑出した詩人であり音楽の才能もある才媛であった。13歳で宮廷に召されたが、34歳のとき難産のため惜しくも死亡したという。

王陵の説明に続いてイスラム世界の葬儀の話となった。イスラムでは死者は24時間以内に土葬される。墓はまず2m程度の4角い縦穴だ掘られ、その東西南北何れかの方向に横穴を掘り、その奥に死体を横たえるのだそうだ。そして順次その縦穴の周囲に家族が眠ることになる。

P9192420

王1族の墓が並ぶ墓地の一角

2012年10月 4日 (木)

ホータン 2

スルーガイド馬さんの故郷ホータンは、西域南道の一大オアシス都市であり、交通の要衝であるとともに、仏教王国として名を残した「ウテン」の古都でもある。人口18万人のうちウイグル族が95%を占める。古来より中国の歴代王朝の人々によって尊ばれた玉のなかの玉、崑崙の玉の産地として名高く、この「ホータン玉」はシルクロードを通って西洋にも送られた。現在でも川で玉捜しを職業としている人がいるらしい。

ウルムチやクチャ・カシュガルの空港などでは、玉製品が沢山売られているし、街のバザールなどでも腕輪などそれらしき商品が並んでいるが、ここでは「君子危うきに近寄らず」の教訓が生きるらしい。

ウテン国にまだ養蚕の技術がなかったころ、ウテンの王と漢の王女が恋に落ちた。やがて結婚に際し王は、花嫁の冠に秘かに蚕と桑の実を隠して輿入りさせ、養蚕技術の拡散を禁じていた漢から、養蚕の技術を学びとることに成功したという「蚕種西漸伝説」が残っているそうだ。

5日目はこのホータンから北西に500km強、カシュガルまでのバスの旅である。

2012年10月 3日 (水)

ホータン(和田)

旅行も4日目、G315号線をほぼ西に向けてケリヤからホータンまで、約170kmを走る。昨日はポンプ小屋以外建物らしいものは何も見えない砂漠の道であったけれども、今日は点々と小さな村落が点在し、砂漠の中に羊の群れなどもときどき見かけた。しかし、土地柄なのか気圧のせいか風が強く、行き交う車はヘッドランプを点灯して走っていた。

ホータンでの最初の観光は「マリクワト古城遺跡」。この遺跡は、紀元前260年ごろから約1300年間、この地で繁栄した仏教大国「ウテン国」の夏の宮殿跡という。遺跡といえば城壁があったり柱が建っていたりする光景を思い浮かべるけれども、ここは風の吹きすさぶ河原のようなところに、風化した日干しレンガの積み跡だけがいくつか残っているだけだ。

街に戻り、手織りの絨毯と手織りの絹織物を作っている現場を見る。手織物の伝統を後世に伝えるため、政策的に作られた織物工場と思しきものである。

砂漠といえばラクダを連想するけれど、30分ほどバスで走りラクダ乗りに行った。座った状態のラクダに乗り、準備ができるとラクダが立ち上がる。ラクダは後ろ脚から立ち上がるので、よく鞍につかまっていないとラクダの頭の方に振り落とされることになる。座るときは前脚から折るので、このときも同じだ。

P9182285

ケリヤの街 小学校の登校風景

P9182289

砂漠の中の羊の群れ

P9182294

砂塵で視界が悪く車はヘッドライトと点灯している

Dscn6155

順番に座っているラクダの背に乗る ここのラクダはフタコブラクダなので乗りやすい

P9182306

並んでおしゃべりをしながら絨緞を織る女性 仲間同士意気が合わないと絨緞の柄がずれてしまうという

P9182318

織り上がった絹織物  これがホータン独特の柄

2012年10月 2日 (火)

砂漠縦断

今日はクチャからケリヤまで、タクラマカン砂漠縦断のバスの旅である。G314号線は、首都ウルムチから一旦南東に向けて下り、大きくUターンしてほぼ西に向い、昨夜宿泊したクチャ・後日訪れるカシュガル・そして待望のカラクリ湖を通って、国境を超えパキスタンにつながる。このG314号にほぼ並行して高速道路G30が伸びている。

クチャを出発したバスは、G30をウルムチ方向に向かって約120kmほど、東に走ったところで右折して、いよいよ「塔里木沙漠公路」つまりタクラマカン砂漠縦断道となる。約600kmのこの道路をひたすらほぼ南に走ると、やがて砂漠の南端を東西に走るG315と交わり、G315を西に約100km進めば今日の目的地ケリヤに着く。

塔里木沙漠公路は,タクラマカン砂漠の油田開発用として1991年から建設開始され、一般には1997年から開放されて,観光バスも通ることができるようになったという。あちこちで石油井戸を掘る機械が動いているのを見かけた。特に春になるとタクラマカン砂漠は砂嵐が吹き荒れ、折角の道も砂に埋まってしまう。それを防止するため、道路の両側にタマリスクなど乾燥に強い植物を植え、更に給水のための約4km毎にポンプ設備を設け、パイプを伸ばして給水し、枯れるのを防いでいる。しかも、メンテナンスのためポンプ小屋には人間が常駐し、植物を守っているのだそうだ。全く無人の広い砂漠の中で、約4キロ毎に人が住んでいるとは驚きである。設備には番号が振って有り、番号から両側で合計200数十棟あることが読み取れる。

バスの座席は、11人のメンバーをA・B・Cの3グループに分け、日替わりで順次交替する仕組みで、この日私は前の座席に座る番で、内心占めたと思った。何しろ800kmに及ぶ長旅だし、前方なら揺れも少なくシャッターチャンスも多いと思ったからだ。

P9172204

高速道G30線 整備され快適なドライブが楽しめる

P9172212

砂漠公路に入るとほとんど家はなく勿論青空トイレとなる クチャを出発して約2時間半 最初のトイレタイム 何故かここは蚊と思われる虫が多く用を足す間追い払うのに苦労する

P9172222

水の流れる橋を渡るのは珍しい ホウタン川とガイドの説明がある

P9172215

ホウタン側の近くにあったバザールで 果物などを買う

P9172242

どこまでも伸びる砂漠公路

Dscn6090

給水のための4km毎に設置されているポンプ設備 この建物に立っている女性と右側の男性夫婦が住んでいる 青い椅子に座っているのはバスのドライバー  ホータン川の近くのバザールで買ったスイカを食べている

P9172229

ポンプから伸びている給水用ビニールパイプ(3本の黒い線)

P9172261

走っているのはこのような大型トラック 積んでいるのはタマネギかと思ったが リンゴ

P9172271

20時30分 夕暮れのケリヤの町に入る

2012年10月 1日 (月)

クチャ

クチャ、漢字では「庫車」と書く。天山南路最大のオアシスで、タクラマカン砂漠の北縁に位置し、北に天山山脈を仰ぐ。人口約40万人、80%がウイグル族である。かつて「亀茲」という仏教王国が栄え、近辺には多くの石窟が造られ、「法華経」などを漢訳した僧 鳩摩羅什(344~413年・父はインド人、母は亀茲国の王様の妹)の生誕地でもある。また、玄奘三蔵がインドに向かう途中、ここに2カ月滞在したといわれる。

P9162109

クチャ空港 地方空港で閑散としていた

P9162132

キジル千仏洞 クチャからバスで約1時間のところにある。中国で最も早く開かれた新疆随一の石窟で、ミンウダク山の岩壁上に3.2kmにわたって開削され、現在236窟が確認されているが、そのうちほぼ完全な型で保存されているものは135窟ある。3世紀頃から作られ始めたが、8世紀末ごろ放棄されたと言われている。
石窟の大多数は、僧侶たちが礼拝などを行う中心柱窟と方形窟で、ほかには僧侶の住居の僧房もある。
壁画の題材は2種類あり、一つは釈迦の誕生から涅槃までの、入胎・誕生・宮中生活・出家苦行・山家苦行・降魔成道・説法度衆・、涅槃などである。二つ目は、本生物語で、釈尊が生前において何度も生まれ変わり、そのたびに善根を重ねて仏になるという物語である。また、宗教に関する題材以外に、古代西域の各民族の人々の暮らしを反映しているものも多い。

入口の前には鳩摩羅什の像が建っている。門から入るには、カメラを初め鞄などは持ち込めないので、事務所に預ける。従って洞窟の壁画などの写真はない。

洞窟の大きさは4畳から6畳ぐらい、砂岩なので崩れ易いため絶対に壁には触らないよう注意がある。残念ながら完全な姿で残っている壁画は一つもなく、特に金箔が貼られていた「袈裟」の部分などは、金箔がはがされてしまったため、岩肌がむき出しになっている。奈良の正倉院にある「螺鈿紫檀の五絃琵琶(世界唯一のもの)」と同じ琵琶の壁画を第8窟で見た。

P9162115

クチャとキジル千仏洞の間に特異な岩肌を見せる「塩水渓谷がある(写真ストップ)

P9162147

P9162129

沿道に赤く見えるのは天日干しをしている唐辛子 レストランで食べる料理は辛いのも道理だ   羊の群れも見受ける

P9162151

もう一つの洞窟群「クズルガハ千仏洞」  金を多用していたためキジル千仏洞より破損が激しい 現在53の洞窟が残っている

P9162163

クズルガハ烽火台 前漢代に立てられた「のろし台」で約4km毎に設けられていたそうだ

P9162177

今日の夕食はウイグル族の民家でご馳走になる

P9162174

出迎えてくれた子どもたち 

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »