『ルー・ブルの旅』 8
歴史2
3世紀にローマ帝国が撤退した以降のダキアの歴史は明確ではない。14世紀になって「ワラキア」と「モルドヴァ」という二つの公国が登場してくるが、両国の建国の歴史もはっきりしていない。15世紀にはこれら両国ともオスマン帝国の属国となっている。
ワラキア・モルドヴァが、「ルーマニア」として独立宣言したのは1877年のことで、ヨーロッパ各国の承認を得たのは、1878年のベルリン会議においてである。しかし、当時トランシルヴァニア(地方)は、ハプスブルク帝国の領土であり、ルーマニアには含まれたいなかった。
トランシルヴァニアは、9世紀にハンガリーの支配下に入り、1526年にハンガリーがトルコに敗れたため、トルコの支配となった。そして、1699年にハプスブルク帝国がハンガリーからトルコ軍を一掃すると、ハプスブルク帝国の領土となり、1867年、ハプスブルク・ハンガリー二重帝国の誕生で、再びハンガリーの領土となった。
第1次世界大戦後にハプスブルク帝国が崩壊して、トランシルヴァニアはルーマニア領となったものの、第2次世界大戦が始まると再びハンガリーに併合され、大戦終結後にようやくルーマニアに戻るという、複雑な歴史をたどっている。
第2次世界大戦後同じ社会主義にあって、ハンガリーとルーマニアの関係が嫌悪であったのは、こうしたトランシルヴァニアをめぐる歴史の流れに起因している。
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