『ルー・ブルの旅』16
モルドヴァの修道院群(世界遺産)
ルーマニアの北部、ウクライナと国境を接するところにモルドヴァ、ブコヴィナと呼ばれる地域がある。オスマン帝国が最盛期にあった16世紀の初頭、ここモルドヴァ公国はオスマン帝国から自治を許され、シュテファン大公以下歴代名君が輩出し黄金期を迎えていた。そして、ルーマニア中世文化の中心地として、この地域に多くの修道院が建てられた。それらの修道院の内壁や外壁には、聖人の肖像画や聖書の1場面を表わすフレスコ画が描かれた。特に外壁に描かれたフレスコ画はこの地方独特のもので、非常に珍しいとされ、現在も鮮明に残っている。 これらの修道院のうち8カ所が、1993年世界遺産に登録され、旅行4日目に丸1日をかけて下記の5カ所を観光した。観光の拠点となる町はスチャヴァである。(字が小さく読みにくい)
何れの修道院の外壁フレスコ画も、聖母子を中心とした聖人や聖書の場面をモチーフにしていて、当時聖書を読むことができなかった農民たちに、わかりやすく布教するため描かれたものとされる。一般的に建物の北側の壁は風雨によって色あせているものが多い。
モルドヴィツァ修道院
修道院のあるモルドヴィツァ村は、標高1109mのチュムルナ峠を越えて国道17号線に通じている。伝統的な木造の農家が並び、それらの家々には屋根付きの車井戸が見える。
修道院は四方を高さ6m、厚さ1.2mの城壁で囲まれ、数本の見張り塔が要所に配置されている。もともと1402年に、アレキサンダー公の命によって小さな教会が建造されたものの、16世紀初頭、大雨によって起きた地すべりで建物が崩壊してしまった。その場所に領主ペトゥル・ラレシュが1532年に再建したもので、完成には5年を費やした。
内壁の絵画のほとんどは伝統的な内容と手法によるもので、「キリスト磔刑像」「最後の晩餐」「聖母の祈り」などがあり、色鮮やかで表情が人間的に描かれている。
外壁のフレスコ画では、南側は歴史的な「コンスタンチノーブルの包囲」などの場面で、626年、東ローマ帝国の首都コンスタンティノーブルが、ペルシア人に包囲されたものの守りぬかれたという、当時から800年も前にあった大勝利の場面である。そして、負けているのはペルシア人ではなくトルコ人になっている。外壁には一般の信徒たちに強く働きかける絵が並ぶ。「諸聖人の祈り」、いつまでも炎を出している柴の場面として知られる「モーセの燃える柴」、聖母マリアの夫であるヨセフはダヴィデ王の父エッサイの家系に属するという意味を表わし、したがってイエス・キリストは「エッサイの樹」に連なることを表わした「エッサイの木」、ロシアの有名な司教の詩をもとにしているといわれる中世キリスト教の信仰の場面である「聖母への賛美歌」、どの教会堂の外壁にも必ず出てくるテーマ「最後の審判」の場面では、予言者ムハンマドも異教徒の人物として登場し、魔王によって地獄に導かれる高官の暗示的な図像が描かれている。その他に、地元の伝説に基づいた「天国の関所」などもある。
下の写真は入り口の門と修道院を囲む城壁 修道院近くの民家
スチェヴィツァ修道院
スチェヴィツァ修道院は1582-84の間に建造されており、教会堂を中心に、各辺約100m四角形に配置されている。修道院のほかの建物は高さ6m、厚さ3mの城壁に沿うように立てられており、その4隅には見張塔がある。
修道院は1581年に、ラダウツィ司教のゲオルゲ・モヴィーラの命で着工された。ただし、もともと宗教的建設物のはずであった修道院がこれまで要塞の形をするようになったのは、司教の兄、当時のイエレミア・モヴィーラ公の命令によるようである。 教会堂の壁の内外を飾る壁画は1595~96年に製作されたものと見られている。モルドヴァの他の教会堂と比べると異例なほど外壁の絵画の保存状態が良好である。そして、スチェヴィツァ修道院では何よりも、壁画の多さが光る。外壁のうち西面には壁画がないものの、それでも図像が数千点あってモルドヴァ地方のどこよりも多い。
壁画の特徴は、ストーリー性が強調されていることと、16世紀モルドヴァ地方の日常生活を題材にした壁画が多いことなど。
最も著名な壁画が「貞操のはしご」である。現世で徳を積んだ者が天使に導かれて天国へ上り、罪を犯した者が満足げに微笑む悪魔の手に入るという様子が画かれている。「最後の審判」という場面を画く壁画も同じぐらい有名であるが、残念ながら画家が製作中に足場から転落死したため未完成である。この「最後の審判」の各場面には、ルーマニア人にとって長年の敵であったトルコ人や、異教徒としてのユダヤ人が描かれている。「天国への梯子」の場面でも、悪魔などの全てがトルコ人の服装をしているが、それもオスマン帝国の脅迫に対して、教徒を励ますための内容と考えることができる。
張り出し屋根の外側には双頭の獣と火の川を描いたヨハネ黙示録の様子が綿密に画かれている。南側壁面にはエッサイの木と、聖母を題目にしたそれぞれの場面が描かれている。
この修道院は尼僧院として使われており、社会主義時代にも修道女が暮らせた、例外的な場所である。修道院が観光スポットとして有名になった今でも、修道女が質素な生活を送っている。
北面の外壁いっぱいに描かれた「天国への梯子」。天国にいたる32段の梯子を境に、右が天国左が地獄で、悪魔の誘惑と戦いながら梯子を上る修道士が描かれている。
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