『ルー・ブルの旅』27
プレスラフ
旅行10日目は黒海沿岸の町バルナから、第2次ブルガリア帝国(1189年~1396年)の首都であったベリコタルノボまで、約250kmを移動した。その間、プレスラフ・琴欧州関の郷里近郊・アルバナシ村などを通り、博物館や教会などを観光した。
ここで簡単にブルガリアの歴史をたどってみる。現在のブルガリアであるドナウ川南部には、紀元前3000年頃よりトラキア人が暮らしていた。トラキア人は世界最古の黄金文明を築いた人々とされ、トロイ伝説にも登場している。紀元前4世紀ころにトラキア人の王国は最盛期を迎え、その後マケドニア人、ローマ人、東ローマ・ビザンチン帝国の支配下に入る。
6世紀にスラヴ人が南下し、ドナウ流域に住むようになり、7世紀にはアジアからやってきたブルガール人が先住のスラヴ人と連合を組んで、ビザンチン帝国との戦いに勝利し、681年にアスパルフが第1次ブルガリア帝国を打ちたてた。この第1次ブルガリア帝国は、キリスト教を国教として受け入れ、9世紀末~10世紀のシメオン王の時代に、黒海からアドリア海にいたる地域を版図とする帝国を作り最盛期を迎えた。しかし、その後ビザンチンとの戦いに破れ崩壊。11世紀初めに再びビザンチン帝国の領土に組み込まれた。
次にブルガリア人が自らの国を打ち立てたのは1187年のことである。ビザンチン帝国に対して反乱を起こしたベタルとアセン兄弟の軍が勝利し、第2次ブルガリア帝国が誕生した。都は現在のヴェリコ・タルノヴォに置かれ、イヴァン・アセン2世の時代にマケドニア・アルバニアも版図に加え全盛期を迎えた。しかしその後政治は混乱し、バルカンに攻め入ったオスマン・トルコ軍に破れ1393年に首都は陥落し滅亡。それ以後ブルガリアは500年近くトルコ人の支配のもとにおかれた。
1877年にブルガリアを援助したロシアがトルコと戦い(露土戦争)勝利して、ブルガリアは自治国として認められ、1908年ブルガリア王国が誕生して、悲願の完全独立を果たした。その後2度のバルカン戦争と2度の大戦を経て、1946年王制は廃止され、親ソ連政策のもと社会主義の道を歩むことになった。そして、1989年、33年もの長期にわたり独裁体制をしいてきたジフコフ共産党書記長が解任され、共産党政権は崩壊、新たな「ブルガリア共和国」が誕生した。
第1次ブルガリア帝国の首都はブリスカにおかれていたが、シメオン1世の命により、893年プレスラフに遷都、プレスラフは首都・文化の中心として栄えた。
プレスラフでは博物館や黄金教会の遺跡などを観光したが、ここでも大勢の子供たちが社会科の勉強に来ていた。
上:バルナからベリコタルノボまでルート 下:琴欧州関の故郷 ジュルニッツァ
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