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2014年4月

2014年4月29日 (火)

ネパール 19(ジョムソン 5)

ジョムソンからポカラへは3月7日の早朝に戻った。ホテルでは、早朝食事をとろうとしたらまたしても停電となった。停電には慣れてきたけれども、暗闇では食事はとれない。ロウソクの光を頼りに冷えた体で回復を待つ。ようやく出てきたスープも冷えてしまっていた。

ホテルから空港までは下り坂だけれど、まだ薄暗く歩行は危険なのでホテルの用意したトラックたーに乗った。よくよく考えればトラックたーの方が危険だったような気がする。

ジョムソン空港には普段は駐機していないので、ポカラからの到着を待って搭乗する。何しろポカラからの飛行機が着陸して乗客が入れ替わり、離陸するまでに20分とはかからない早業である。あっという間だけれども、青い空と白い山の光景は「素晴らしい」の一言である。

ポカラに戻った後ポカラ市内の観光が比較的早く終わったので、ゆっくり風呂に入り、ジョムソンですっかり冷え切った体を暖め、ゆっくり休養した。ポカラは都会だしジョムソンよりはずっと暖かい。

P3076916 東の空が明け始め 明けの明星(金星)が輝き ニルギリ、テリチョも白さを増してきた  (出発前ホテルの玄関から 寒さを忘れてシャッターを押す)

P3076922 ホテルから空港まで送ってもらったトラックター 中には10人ほどが座れる座席がある

P3076930 1番機の到着を待つポカラ空港の滑走路

P3076935 待っていた乗客が登場すると直ぐに飛び立つ

P3076939 コクピットのガラス越しに ダウラギリ

P3076965 離陸して 右や左に歓声が上がりその度にきょろきょろしていると もうポカラ上空にいる  右端尖っている山がマチャプチャレ 

2014年4月27日 (日)

ネパール 18(ジョムソン 4)

ティニ村はホテルの真正面、ガンダキ川の対岸にある。ホテル専用の道を本通りまで下り、更に河原近くまで下って吊り橋を渡り、対岸の道を登るとティニ村がある。今日はそのティニ村までのハイキング。歩行距離は往復で約8km、歩行時間約4時間、標高差97mと案内書にある。しかし、私見だけれどこの標高差は空港の滑走路からのもので、ホテルは滑走路から100mも高い台地にある。

絶好のハイキング日和に恵まれ、勇んで吊り橋を渡りティニ村に向かう。もちろんティニ村にはレストランなどないので昼食はホテルに戻ってから。帰りに吊り橋を渡るころは川下から強い風が吹き始めていた。少し遅い昼食の後夜が訪れるまで、本当に長い時間を寒い部屋の中で耐えた。

P3066796001 ニルギリ、テリチョに向かい吊り橋を渡る

P3066812 しばらく昇ると煙が立ち上るだんだん畑が見えてきた

P3066824001 あんずの花の向こうに白煙を上げるダウラギリ8167m) がある  手前の右に伸びる白い山は名も無い?低い山だ

P3066827 いよいよ村は近い  左端がダウラギリ

P3066851 村の空き地でダウラギリを眺めながら休憩

P3066829 村に入る最後の上り  正面はニルギリ、テリチョ

P3066838 村に入ると子供たちが迎えてくれた

P3066841 斜面に建つ民家

P3066856 屋根に乗った魔除け

P3066820 村人たち

P3066876 だんだん畑  石垣を積む農民

P3066858 農家の庭に牛が2頭  日向ぼっこをしていた

P3066839 村からニルギリ、テリチョは更に近い

P3066879 帰り道吊り橋を渡る  目指すは高台にあるホテル(赤い建物)

P3066805001 ティニ村から  ホテル(左)と着陸目前の飛行機(右下隅)

 

2014年4月26日 (土)

ネパール 17(ジョムソン 3)

ジョムソンに滞在中の4月5日にマルファ村、6日にティニ村までハイキングに出かけた。旅行案内にはマルファ村のハイキングについて、「その昔チベットとインドを結ぶ交易路だったジョムソン街道の中で随一美しいマルファまで往復する。歩行距離は往復約11km、標高差73m、歩行時間約4時間」とある。

ジョムソンからガンダキ川の河原に設けられた砂利道を1時間半ほど歩いてマルファ村に着く。途中ところどころに民家があったが、人影を見ることは殆どない。柳の新芽がほんの少し芽生えていた。往復で小型バス・4W車・バイク・歩行者に逢ったけれど、数えるほどだ。マルファ村に足を踏み入れてみると、「街道中で随一の美しい村」は少々オーバーのような気がする。裏を返せば、街道に存在する他の村々が、如何に寂しいものであるかを示している。

ジョムソンに戻りホテルへは本通りから登りとなる。11kmを歩いた後で心臓破りの坂道である。マルファ村までの高低差が約70mなのに、本通りからホテルまでの高低差は100m以上あったのではなかろうか。

マルファ村には日本人で最初にチベットに潜入した僧「河口慧海」が滞在した家がある。河口慧海(1866~1945)は、現在の堺市生まれる。早くに仏教に目覚め僧侶となった。漢訳仏典に不備を感じ、仏典の原型をよくとどめているチベット語訳の「大蔵経」を入手するため、単身鎖国下のチベットに潜入を計り、都合2回徒歩でヒマラヤ山脈を越え、通算17年に及ぶ命がけの旅を通して、インド・ネパール・チベットから多くの資料を持ち帰り念願を果たした。後年は僧籍を返上し在家の立場で仏教の普及・研究に努めた。

P3056620 ジョムソンから歩き始めて間もなく、ガンダキ川の向こうにニルギリ(手前)とテリチョ(雲を被っている)が朝の太陽に光っていた  これらの山はホテルの正面に見える山である

P3056630 河原に伸びるジョムソン街道をマルファに向かう

P3056646 途中で見かけた民家  河原に建っているので洪水に逢うことはないのだろうかと心配になった

P3056667 歩いてきた後(上流部)を見返る 最奥部の雪山はチベット国境か?

P3056673 すれ違った地元住民 どこから来てどこへ行くのか?  他に、河原で化石(アンモナイト)を探している住民にも出会った

P3056688 マルファ村に入ると畑があった

P3056692 村の子供(上)と住宅(下)

P3056694

P3056733 河原で草を食べている子供のリャマ

P3056623 翌日予定していティニ村へのハイキングで渡る吊り橋

P3056709 河口慧海が住んでいた家 (中庭から2階の廊下を見る)

Dscn7332 祈りをささげた仏間  慧海の写真も見える

Dscn7336 当時使っていた各種の道具

 

2014年4月25日 (金)

スゴウデ

全国各種の企業で、特殊な技能を身に着け働いている人たちを紹介する、「スゴウデつとめにん」というシリーズ記事がある。過日、三井農林藤枝工場に勤務する登内さんが紹介された。

登内さんは年間5万点に及ぶ、世界中の産地から送られてくる茶葉の特徴を見抜き、仕入れの可否を決める鑑定開発室長を務める。これまでに味や香りを確かめた紅茶の数は100万杯に達するとか、「香りは産地の風土・気候がつくり、味や色は生産者の努力がつくる」というのが信条だそうだ。登内さんの舌の感覚が狂えば、良い紅茶も作れないことになるのだろうから、責任も重い。

107人が犠牲となったJR福知山線の事故から9年が過ぎた。このニュースは海外で聞いたことは確かだが、何所で聞いたかはもう記憶に残っていない。当時の記録をみたらクロアチアだった。

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Dsc_0037001 クロアチアの観光地  スプリット

2014年4月24日 (木)

ネパール 16(ジョムソン 2)

ジョムソン観光の目玉は次の3つ。 1.ポカラ~ジョムソ間の飛行 エベレストの遊覧飛行に比べ時間は短いけれども、ジョムソン空港はガンダキ川の河原にあり、離着陸時には両側に崖が迫るコースを飛ぶので迫力がある。 2.往復5kmと10kmの2階のハイキング。 3.標高2740mの地点から万年雪を戴く峰々の眺望 などである。

ポカラ~ジョムソン間のフライトには、スーツケイスは持ち込めない。従って2泊してハイキングなどを楽しむには、着替えや日用品など必要な物を持ち運ぶ、小さなバッグを用意してジョムソンに向かい、スーツケースと不要な荷物はポカラのホテルに預けておくことになる。

ジョムソンは標高が高く、ホテルは石造りのため夜間は相当に冷えるので、セーターなどを用意するようアドバイスがあった。寒がりなのである程度余裕をもって用意した積りであったが、ホテルの室内は予想以上に冷え、これまで経験したことの無いような夜を過ごした。忘れ難い体験である。

夕方になって雪が降りだして周囲が白くなり、しんしんと冷えてきた。部屋には電気ストーブが2台置いてあり、寝る前には湯たんぽを2個用意してくれた。ホテルは時々停電があり、電気ストーブは役に立たなくなることがある。覚悟を決めて持参した冬用の下着やセーター、ハイキングに出かけたときのシャッツなど、可能なものは全て着込んでベッドにもぐりこんだ。しかし、体がなかなか暖まらず、寝付けなかった。風邪をひかずに帰国できたのは幸いだった。

P3056735  ホテルの全景  メイン道路からは標高差約100mの砂利道を登らなければならない

P3066891 ホテルの玄関  ハイキングを終えようやくたどり着いた

P3056743 ロビー 他の客はいないらしくひっそりとしていた

P3076901 ホテルの室内  電気ストーブだけが頼りだけれど時々停電がある

P3056754 洗面所  周囲の石壁に触ると冷たい

P3076903 ホテルが用意してくれた湯たんぽ  湯たんぽを使うのは何十年ぶりか

P3066893 ホテルの玄関正面の光景

P3066786 食堂の窓越しにも白銀の山  寒い筈だ

P3066788 部屋の窓越しに

ホテルでは十分時間があったが、じっとしていれば寒いし、かといって外に出ても何もなし、ベッドで震えながらぼんやり過ごした。

2014年4月23日 (水)

ネパール 15(ジョムソン)

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ポカラ(地図右下)から北西に直線距離にして約70km、アンナプルナ山系とダウラギリ山系に挟まれ、 ヒマラヤ山脈の最深部から流れ下るガンダキ川のほとり、標高約2740mの地点に小さな村ジョムソンがある。 (地図の左上方)

ポカラからジョムソンまでは、トレッキングコースになっていて5~6日間かけて歩き、また、乗り合いの4W車も走っているけれども、悪路のため相当の覚悟が必要のようだ。空の便を利用すれば20分足らずで到着する。しかし、乗客定員は10数名の小型機で、谷あいを飛行するため欠航が多く、添乗員の経験談では、10回予定したフライトの内、6回が欠航し、飛んだのは4回だけということである。幸い私たちは天候に恵まれ、往復とも予定通り飛ぶ事が出来たし、空港に降り立った面々は何れも「我こそは晴れ女・晴れ男」といった顔をしていた。

P3056581 ポカラからジョムソンに向かうフライト 離陸直前のコクピットと客室

P3056586 乗客に飴を配るスチュワーデス

P3056588 遥かに雪を被ったダウラギリ(8167m)

P3056592 コクピットから望む 次の人が待っているので写真はせいぜい3枚ぐらいした撮れない

P3056595 目前に迫る白銀の峰

P3056587 離陸して間もなく 標高の高い山の峰まで民家が点在する

P3056608 フライト時間は約20分  ジョムソン空港前の街並み ガイドの話によれば、この村の人口は約4000人ぐらいということであるが、殆どが出稼ぎのため村を離れ、住んでいる人は少ないという  早朝ではあったが通りに人影は少ない

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P3056631 ハイキングのため歩き始めて間もなく 次のフライト便が戻ってきた  小型機は乗客を降ろすと直ぐ次のフライトに飛び立ち、何回も同じコースを往復する (天気が良く乗客があればの話)

 

2014年4月22日 (火)

20日の天声人語

20日の天声人語から。(1部省略)

なかなか巧みなたとえばなしをみつけた。「多数決が入ってきちゃいけないところに、『立入禁止』の看板をかけておく」という一文である。民主主義は数の力がものをいう。しかし、たとえば思想・良心の自由といった基本的人権は、数の力をもってしても侵すことはできない。ここには入れませんよ、と書いてあるのが憲法であり、そういう考え方を立憲主義という。(以下略)

日本の政治の現状は、いわば「立入禁止」の看板を踏みつけにしているのではないか。そんな強い危機感が、多くの有識者を突き動かしたのだろう。法学、政治学をはじめ、経済学、社会学、哲学など実に幅広い分野の専門家が一昨日、「立憲デモクラシーの会」を発足させた。

憲法改正のハードルを下げようとし、それが難しいとなると解釈の変更だけで集団的自衛権を解禁しようとし、あげくに全く筋違いの最高裁判決を持ち出す。安倍政権はたしかに憲法という縛りを骨抜きにしようとしているように見える。

これでは改憲どころか「壊憲」だ、民主主義にはアクセルだけでんくブレーキも必要ーーー。(以下略)

2014年4月21日 (月)

ネパール 14(ポカラ)

首都カトマンドゥーから西へ約200kmのところに、ネパール第2の町ポカラがある。昔から、北のチベットと南のインドとを結ぶ交易路のバザールとして発達した町。現在カトマンドゥー~ポカラ間は国道が走り空の便も多い。ついでながらネパールには鉄道は全くない。ポカラはアンナプルナ連峰の眺めがよく、標高は約800mでカトマンドゥーの1330mに比べ気候は温暖である。

旅行3日目の午後、カトマンドゥーからポカラまで約30分間のフライトでポカラ。ポカラで1泊し、翌早朝次の観光地ジョムソンに向かった。従ってポカラの観光はジョムソンに2泊して再び戻ってからとなった。なお、ポカラは駒ケ根市と姉妹都市である。

P3046547 カトマンドゥー~ポカラ間で利用した飛行機(ポカラ空港で)。当日は余り天気が良くなかった。下はジョムソンから再びポカラに戻った朝のポカラ空港ターミナル。この日は快晴。

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ポカラの町で北を望むとき見える主な山は、左手(西)から、ダウラギリ(8167m)・アンナプルナ サウス(7219m)・アンナプルナⅠ(8091m)・マチャプチャレ(6993m)・アンナプルナⅢ(7555m)・アンナプルナⅣ(7525m)・アンナプルナⅡ(7937m)・ラムジュン ヒマール(6986m) などである。

ポカラに着きまず最初にビンドゥバシニ寺院に案内された。この寺院は小高い丘の上に建ち、撮影ポイントともなっている。

P3076980 ビンドゥバシニ寺院からの展望。日本の北アルプス 槍ヶ岳のように見えるのが「マチャプチャレ」(6993m)で、「魚の尾」を意味する。

P3076985 ビンドゥバシニ寺院の境内。この寺院には殺戮神ドゥルガー・繁栄神ヴィシュヌ・女性に人気のクリシュナ神が祀られている。

P3077012 ホテルの庭から、屋根に接して見えるのがマチャプチャレ。 下の写真、左端に見えるのがダウラギリ

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ポカラのもう一つの見どころはフェワ湖。湖畔対岸のレストランで昼食をとった。レストランまではいかだに乗り綱を引っ張りながら渡る。昼食後ボートで湖を遊覧した。

P3077029_3 対岸に渡る筏

P3077041  フェワ湖のボート遊覧

ポカラには国際山岳博物館があり、登山・地質・動植物・民族などたくさんの資料が展示されている。女性として初めてエベレストに登頂した田部井さんの装備品もあった。雪男(イエティ)もいた。

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2014年4月20日 (日)

ネパール 13(バクタプル)

3王朝時代(1484~1769)、カトマンドゥーやパタンと共に栄えた、もう一つのネワール族の古都がバクタプル(「帰依者の町」という意味で、世界遺産に登録されている)である。私は見ていないが、映画「リトル・ブッダ」のロケ地でもある。他の古都同様ダルバール広場があり、そこには旧王宮や沢山の寺院が立ち並んでいる。これら3つの町は互いに10kmと離れておらず、3王朝が意外に近く存在していたことになる。

15世紀に建てられ、かつては僧院であった建物が、現在は「木彫美術館」となっていて、この建物の左側面にある「孔雀の窓」は、ネワール彫刻の傑作とされている。

P3107409001 孔雀の窓

P3107434 ニャタポラ寺院  石段の両側には下から順に、伝説上の戦士・ゾウ・獅子・グリフィン(古くから多くの物語に登場する伝説上の生物。天上の神々の車を引くことと黄金を守る役目を持っている)・女神の像が、守護神として1対ずつ置かれている。それぞれの像は、すぐ下にある像の10倍の力があるという。最上段の女神は、1番下の戦士に比べ1万倍の力があることになる。5層の屋根のあるこの建物は、カトマンドゥー盆地にある寺院の中で最も高く30m。 階段を昇ると広場などが見渡せる。

P3107419 1427年に建てられてダッタトラヤ寺院とガルーダの像。ガルーダ(ガルダ)はインド神話に登場する炎の様に光り輝き熱を発する神鳥 で、蛇や竜などを退治する聖鳥として崇拝されている。また、インドネシア航空の名前になっている。

P3107394 たむろする男たちと雑談をしながら手仕事に励んでいる女性(下)  ガイドの説明だと、男たちは仕事をしないそうだ。路上でトランプをしている男たちを何ヶ所かで見た。

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P3107395 ふくそうした電線はどこに行っても変わらない。

P3107386 八百屋さんと  床屋さん(下)

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絨毯が並んだ通りを取ったものだが、よく見ると怪しげな女性が 写っていた。

 

2014年4月19日 (土)

ネパール 12(遊覧飛行)

18日、エベレストの標高6400m付近で雪崩が発生、ネパール人の山岳ガイド(シェルパ)が少なくとも12人死亡したという。世界の最高峰では常に危険が付きまとうけれども、痛ましい事故である。

ネパール旅行の終盤、4月11日にエベレスト遊覧飛行をした。

P3117602 早朝のカトマンドゥー空港国内線の待合室。早朝のフライトのため朝食を取らずに空港へ向かったが、1時間近く待たされた。晴天で風もなく飛行条件は最高ではないかと思われたが、安全に着陸できる予備空港(カトマンドゥー以外の空港)が確保できない限り、飛ばないのだそうだ。飛行条件が厳しいため、遊覧飛行ができる確率は、50~60%と低いらしい。旅行のパンフレットにも、「天候などの都合でエベレスト遊覧飛行にご案内できなかった場合は、帰国後16000円を返金します」とある。

P3117606 準備が整いようやく搭乗したのが8:00時。座席は抽選、私は右側、主翼の少し後ろ側で写真撮影には適さない席となった。

P3117609 離陸して間もなく、左側の席が賑やかになった。ほぼ東に進む飛行機の左に、白い山々が見えてきたのだ。飛行高度が約6000mに達し飛行が安定すると、交代で乗客一人ひとりにコクピットを見せてくれる。この写真はパイロットの後ろから見た窓外。 下はコクピット。

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P3117644 暫らくは左側の乗客越しに眺める以外なかったけれど、やがて飛行機は左に旋回して右側に山々が見えてきた。いよいよこちらの番である。素晴らしい山並みに感動、夢中でシャッターを切ったけれど、思う通りにはいかない。ほぼ中央、右に雲が流れているのが世界の最高峰エベレスト(サガルマータ)。

P3117656 中央は「チョー・オユー」 ? (8201m)

P3117698_2中央「ガウリシャンカル」 7134m、その右側「メルンツェ」 7181m (山の名前に自信はない)

P3117756 間もなく着陸、谷間を朝もやが埋める。

P3117788001 同乗したスチュワーデス。別れ際「ナマステ」と手を合わせ挨拶してくれた。絶好の遊覧飛行日和をもたらしてくれた神々と、彼女に感謝しながか客室を後にした。時に9時20分であったから、約1時間20分のフライトであった。

Cci20140419001 機長のサイン入り「搭乗記念証」

 

2014年4月18日 (金)

一二三さん

「猿橋賞に一二三恵美さん」という記事が目に止まった。「一二三」という苗字が珍しいと思ったからで、最初「一二三」は名前で名字は別にあるのだろうと思ったが、「一二三」は名字であった。ついでに「猿橋賞」について調べてみた。猿橋賞は、地球化学者の猿橋勝子氏が1980年に創設したもので、自然科学の分野で顕著な研究業績をおさめた、50歳未満の女性科学者に贈られる賞だという。

今年の第34回猿橋賞は、一二三大分大学教授に決まった。受賞の対象は、「スーパー抗体酵素」の研究ということだが、その具体的内容は各種の記事を読んでもよく理解できない。ともかく、スーパー抗体酵素には、インフルエンザウイルスを破壊したり、がん細胞の増殖を抑えたりするものがあり、医薬品への応用に向けた研究が進められているという。

ノーベル賞とまで囁かれた小保方さんだから、猿橋賞の候補にもなっただろうけれど、今の状態では ? である。いずれにしても後期高齢者の身としては、難病に有効な医薬品を早く開発して欲しいと願うばかりである。

2014年4月15日 (火)

夏目漱石

夏目漱石の「こころ」が朝日新聞紙上に連載され始めたのが、1914年4月20日、今年丁度100年となる。朝日新聞ではこれを記念して、「こころ」の再連載をするという。小説本文のほか、当時の時代背景の解説や主なニュース、漱石のミニ知識なども随時掲載するようなので、楽しみである。

漱石は1907年4月、40歳のとき、東京帝国大学講師の職をなげうって、朝日新聞に入社した。入社の辞では「大学を辞して朝日新聞に入ったら、逢う人が皆驚いた顔をしている。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある」と述べたらしい。

月給は部長より高い200円、入社第1作は「虞美人草」で、評判になったと記事にある。

2014年4月13日 (日)

藤枝市は今年市制60周年となった。記念行事ではないが、市議選が始まった。定数22名に対し24名が立候補、少数激戦の模様だ。1週間、選挙の「旬」で街は賑やかになる。

竹の子も旬となった。清水から国道52号線を北上し山梨県に入ると、道の駅「とみざわ」がある。この道の駅のシンボルは大きな竹の子だ。この本場で採れた丸々とした竹の子を近所の方からいただいた。流石に本場の味であった。

桜の花の旬は短い。公園のソメイヨシノはほとんど葉桜に変わった。今はサトザクラが満開である。今週末からは「藤まつり」が始まるけれど、1部の藤棚からは甘い香りだ漂っている。

パソコンクラブの第180回例会は25名が出席し、予想以上に盛会であった。年度が変わって最初の例会であり、今後も盛会であるよう祈って解散した。

2014年4月12日 (土)

美濃太田

本棚を片付けていたら、丁度「ひとえきがたり」の記事の載った新聞が出てきた。取り上げられていたのは、JR高山線の美濃太田駅である。美濃加茂市内で弁当製造業と食堂を営む社長さんが、駅弁を入れたベルト付きの箱を肩から提げ、駅のホームに立って「松茸の釜飯」を売っている。1日に300個も売れた時代もあったが、現在は20個も売れれば「御の字」だそうだ。

新聞を見て記事の内容よりも見出しにある「美濃太田駅」に懐かしさを覚えた。というのも独身のころこの町に住んだ経験があるからである。美濃太田には日本ライン(木曽川)下りの乗船場があり、シーズンには多くの観光客が訪れていた。

当時住んでいた住居は事務所兼用で、乗船場の近くにあり、同じ独身の同僚と2人で住んでいた。同じ建物の2階には、高校の先生と妹の女子生徒が住んでいた。夏の夕方、同僚は彼女とよく木曽川の土手を歩いていたが、それを遠くに眺めながらこちらは川風で頭を冷やした記憶が残る。

美濃太田駅からは長良川に沿って、盆踊りで有名な郡上市に向け、JR越美南線(現在は長良川鉄道)が走っている。終点に近い美濃白鳥(現在は郡上市)に私はその後転勤し、とらと結婚して新婚生活に入った。ねずみととらの家の始まりで、50年前のことである。

2014年4月11日 (金)

ネパール 11(パタン)

ネパールでは1200年ごろカトマンドゥー盆地にマッラ王朝が誕生した。のち、マッラ王朝は1480年代になって、カトマンドゥー・ラリトプル(パタン)・バクタプルの3王朝に分裂した。(3王朝時代となる)

カトマンドゥーの南、バグマティ川を挟んパタンがある。パタン王朝の都で、現在は世界遺産に登録され、(サンスクリット語でラリトプルといい「美しい都」を意味する)ネワール文化を継承し、住民の80%が仏教徒である。

パタンの観光は3月8日に行った。ホテルを9時過ぎの出発、街を1巡してホテルに戻ったのが13時過ぎとなった。この間に撮った写真が約120枚。今となっては掲載した写真の詳細な説明文も書きようがない。

P3046418 朝の街角 早速野菜売りに会う

P3046437001 お堂の番人?

P3046443 御利益のありそうなお堂 中の女性は”生神”ではないと思う

P3046453 通りに面し 民家に挟まれた小さなお堂

P3046473 裏通り あるいは表通りなのかも知れない

P3046474 肉屋さんの店先

P3046481 電線が町中クモの巣のように張り巡らされている 個人で張った電線も多いという 停電も多いと聞く(電力事情が悪い)

P3046486 日本人女性が出している土産物店

P3046489 広場に店を広げた土産物の露店

P3046495並んでいるのは何者

P3046510 ダルバール広場

P3046516001 タレジュの鐘

P3046518 寺院に残る彫刻

P3046521 世界遺産の看板

 

2014年4月 9日 (水)

ネパール 10(パシュパティナート)

去年の春ルーマニアを旅した折、「陽気なお墓」と呼ばれている墓地を訪れた。生前の生活や挿話などを描いた木製の墓標が立てられていて、墓標から故人の人柄などが読み取れるようになっていた。

わが国でも最近は散骨や樹木葬などが行われ、葬送に対する考えが多様化しているが、ヒンドゥー教では遺灰を聖なる川に流してしまうので墓はない。確認はしなかったけれど多分仏壇もないのではなかろうか。

カトマンドゥー国際空港の近くをバグマティ川が流れていて、川の右岸にバシュパティナート寺院があり、下流には「アルエガード」と呼ばれる火葬場がある。訪れた日にも火葬が行われていた。バグマティ川はやがてガンジス川に合流しベンガル湾にそそぐ。パシュパティナート寺院の起源は、紀元前3世紀ごろと考えられ、ネパール最大のヒンドゥー教寺院であるばかりかインド亜大陸にある4大シヴァ寺院の一つでもある。

ヒンドゥー教徒以外は寺院には入れないが、左岸は自由に行き来でき、対岸にあるアルエガードを見る事が出来る。6個の火葬石台があり最上流の石台は王族専用だったという。庶民の火葬台は下流の4個。

P3127855 バグマティ川  この上流約500mほどのところにパシュパティナート寺院がある。

P3107530 パシュパティナート寺院の上空

P3107541 階段に置かれた傾斜した台は火葬する前に体を清めるための台 川の水で足などを洗う

P3107534 上流側の火葬石台

P3107531 下流側 庶民の火葬石台  丁度中央の石台では炎が見える  川に入っている人物は遺灰と共に捨てられた貴金属を探しているのだそうだ

P3107545 乾季のため水の流れはほとんどなく 水は濁り得体のしれないゴミが浮いていた  これが聖なる川とはとても思えないし 散骨するにしてもここへの散骨は御免蒙りたい

2014年4月 8日 (火)

ひとえきがたり

夕刊に「ひとえきがたり」と題する記事がある。全国各地の特徴のある駅の今を、写真と記事で紹介するものだ。今日紹介の駅は、上州電鉄(群馬県)の「南蛇井駅」(「ナンジャイ」と読む)。季節の花と難読がテーマ。

列車が駅に近づくと車内のスピーカーから、「ナンジャイ・ナンジャイ」とアナウンスが流れ、乗客は 「『ナンジャイ・ナンジャイ』とはナンジャイ」 と声をかけたくなるのではなかろうか。(私の推測)

この駅では今、環境省が絶滅危惧種Ⅱ類に分類する「オキナグサ」が可憐な花を咲かせ、花を目当てに全国から観光客が訪れているという。地元でオキナグサの保護に取り組む方々の努力で、今では約3万株が育っているそうだ。

P3036331 写真は、大変失礼ながら「トシちゃん」のブログから無断借用したもの。この花がやがて実をつけると、種子の綿毛が白髪の翁を思わせることから「オキナグサ」の名がついた。

塩尻市の南、木曾谷と伊那谷に挟まれた地に標高1305mの「霧訪山・(キリトウヤマ)」がある。かつて辰野に勤務していたころ何度かこの山に登った。山頂にはオキナグサが育ち、夏の終わりには白い綿毛を付けていて、あきず眺めた記憶がある。今どうなっているだろうか? 健在であってほしいと思う。

2014年4月 6日 (日)

桜吹雪

強い風と雨に耐えかねて桜吹雪が舞っている。これも春の風物詩であろうとカメラを持ち公園に出かけた。冷たい風の中、多くの人たちがウオーキングをしていた。

P4067952001 今年は市制60周年

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P4067916 サトザクラはこれから

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家に戻り点検すると撮影時間が3時間ほどずれている。ネパールと日本の時差は3時間15分。ネパールに行った時に設定したままであった。

2014年4月 4日 (金)

シードロープ

ブロッコリーの苗とホウレンソウの種を買いに花屋さんに行った。いろいろな種の袋が並んだ棚のところに、「シードロープ」(こんな名前だったと記憶)なるものがあった。水に溶ける素材(確認したわけではないが)で作った紐の中に、一定の間隔で種が巻き込んであり、50cm単位で切り売りしている。まだ種類は少ないが丁度ホウレンソウのロープがあったので、珍しさも手伝い、2mに切ってもらい買って帰った。

早速畑に向かいロープを土に埋めた。どれぐらいの日数で、どんな芽が出るか楽しみである。

これまでは袋に入った種を買い利用していたけれど、使うのはほんの少しで大部分が残ってしまう。このロープなら必要な長さだけ買えばいいので、無駄にならないし種蒔きの手間もかからない。それにしてもいろいろなものが開発されるのには感心する。

2014年4月 3日 (木)

大化け

約40年前、イタリア国鉄・トリノの列車内で見つかった2枚の絵が、遺失物として届けられ、競売にかけられた。当時トリノで自動車大手フィアットの工場に勤務していた男性が、この2枚の絵を45000リラ(現在の価値で約3300円)で買い、自宅の台所に飾っていた。

最近これらの絵を鑑定した結果、ゴーギャンとボナールの作品であり、1970年にロンドンで盗まれたものであることが判明、時価1500万~3500万ユーロ(約21億~50億円)という。

このように大化けしなくても、中化け程度でいいので何かないかと台所を見回しても、見つかるのは蜘蛛の巣ぐらいのものだ。

2014年4月 2日 (水)

憲法9条

安倍総理は集団的自衛権について、憲法を改定することなく解釈の変更だけで行使できるようにしようと動いている。どう見ても姑息な手法としか思えない。

このような政権の動きに対抗して、平和憲法の大切さを世界に広めたいと願いをかけて、1主婦が「9条にノーベル賞を」とネットで働きかけている。この行動から「憲法9条にノーベル賞を」実行委員会が発足し活動を開始した。委員会は約25000人の署名を集め、ノルウエーのノーベル委員会に推薦状を送ったという。是非9条がノーベル賞を受賞することを願ってやまない。

9条とは

①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

2014年4月 1日 (火)

4月1日

1月末に発表されたSTAP細胞に関する論文について、不正問題を調査していた理化学研究所の調査委員会は、今日、「論文に捏造があった」と調査結果を発表した。この発表に対して当の小保方さんは「あたかもSTAP細胞の発見自体が捏造であると誤解されかねず、到底容認できない」とのコメントを発表した。STAP細胞は存在するのか? 生物学の常識が本当に覆ったのだろうか?

今日から消費税が8%になった。アップ前に日用品などを買いだめする積りはなかったけれど、値上がりがはっきりしているのに値上がりしてから買うのも忌々しいので、昨日、半分ぐらいになっていた車の燃料を入れ、ストーブ用の灯油を2缶買った。スタンドは何時もより混んでいたし、道路も渋滞していた。今日の道路は昨日の渋滞が嘘のようにすきすきであった。

今日は4月1日、これらのニュースは、「エプリル・フールの記事でした」となって欲しいところだが、残念ながら現実である。

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