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2014年8月

2014年8月31日 (日)

記録

昨日は野球の世界で2つの対照的な記録が生まれた。

全国高校軟式野球準決勝の中京対崇徳の試合、28日に始まったこの試合は延長15回を戦い0:0でサスペンテッドゲームとなった。2日目、29日も延長30回まで0:0、3日目、30日も45回まで両チームのピッチャーが投げ合い、無得点のまま決着が付かなかった。

今日の試合で最長イニング記録を50回に更新し、ようやく3:0で中京に凱歌が上がった。中京は続いて行われた三浦学苑との決勝戦にも2:0で勝ち優勝を飾った。中京の松井投手は4日間で786球を投げ抜いたという。

プロ野球楽天対ソフトバンク戦では、楽天の新人横山が7回2死2塁でで救援し、ソフトバンクの今宮にセンター前にヒットを許し先行された。しかし、今宮は走塁死。その裏に楽天が逆転勝利した。横山はプロ野球初となる「初登板での1球勝利」記録を作った

786球を投げた松井、1球で初登板初勝利を得た横山、余りにも対照的な記録である。

2014年8月30日 (土)

不良部品

当然のこととはいえ、体のあちこちに故障が目立つ。自動車なら部品を交換すればまた走るようになるけれども、ひとの体では簡単に部品交換というわけにはいかない。血気盛んなころ(そんなときがあったの? と尋ねられれば、答は ?)は、怪我でもしない限り部品交換の必要はない。

定年を迎えるころになると怪しげな部品が表面化し始める。しかし、それも年に1個ぐらいであり、のんびり構えて過ごすケースが殆どである。いつの間にかそれが季節に1個の割合となり、最近は更に間隔が短くなる気配である。

排尿の機能が衰えて薬を飲むようになってから約1年が過ぎた。今度は排便の部品が不調を訴えている。放置しておくわけにもいかないので、こちらも薬の助けを借りるようになった。

2014年8月27日 (水)

北欧の旅 28 森の散策

旅行9日目の朝はラップランドの街、サーリセルカで明けた。イナリから凡そ70km南に下った地点にある。この日の朝は希望者だけが森林散策に出かけることになっていた。当初から参加する積りで早目に起床し、カーテンを開けると外は雪の気配、ホテルの中庭も白くなっていた。散策するには条件が悪いので、参加者も少ないだろうとみていたけれども、それでも10人ほどが参加した。

散策はフィンランドでも2番目に大きいウルホ・ケッコネン国立公園内のトレッキングコースで、4km弱のコースを1巡する予定であったが、条件が悪かったので途中から引き返した。

ホテルに戻っての朝食は何時もよりおいしく、サンタクロースの村に向かうバスに乗り込んだ。

パンフレットの行程では、ロバニエミから夜行寝台列車を利用することになっていたけれども、この列車が運休となったため飛行機便に変わり、ヘルシンキのホテルに泊まることになった。

P6208804_2  うっすら雪化粧をしたホテルの中庭

P6208802_2 公園の入り口 各種アクテビティの写真があった

P6208803_2 隣の看板は トレッキングルートの地図 雪の温度は0℃の表示

P6208795_2 雪のちらつく森

P6208800_2 完全防備で参加

2014年8月26日 (火)

北欧の旅 27 ヨイク

スカンディナヴィア半島のノルウェー・スウェーデン・フィンランド3ヶ国の北部から、ロシアのコラ半島に至る地域で、ほぼ北極圏に含まれる地域は、ラップランドと呼ばれる。

この地域に紀元前から住んでいたとみられる先住民が、「サーメ(ラップ)人」と呼ばれる人たちである。13世紀に入って、スカンディナヴィア半島に北欧諸国が誕生し、国境を規定する必要が生じて、サーメ人は各国に分断され、そのとき歴史の表舞台に登場した。サーメ人の人口は5万~7万人とされ、約2/3は海岸・フィヨルド地域に定住し、1/3はトナカイを飼い移動生活を営んでいる。サーメ人にとってトナカイは貴重な財産であり、トナカイの耳に各自独自の切り込みを入れ、所有権を表示している。

1994年リレハンメル冬季オリンピックで、サーメ人の歌が披露された。この音楽が「ヨイク」と呼ばれるもので、もともとは精霊信仰において、シャーマンが自然界とコミュニケーションをとる道具として歌っていた。その歌が次第に一般の人たちの間でも歌われるようになり、内容も愛や生活について自由に歌われるものになったという。

サンタクロースの村、ロヴァニエミにはアルクティクムと呼ばれる北極圏博物館があり、観光した、そこでヨイクを聞いたけれども、どんな音楽であったか全く覚えていない。そのとき余りヨイクに感動を覚えなかったためだろう。

2014年8月25日 (月)

遺訓

斎藤孝著「声に出して読みたい日本語」という本を、何所からかとらが探してきた。パラパラとめくって目に留まった「御遺訓」、声を出して読む。

『人の一生は重荷を負て 遠き道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したろ時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基
いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる
おのれを責て人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり』

2014年8月23日 (土)

ツクツクボーシ

公園でツクツクボーシを聞いた。数ヵ所で鳴いていたし、上手に鳴いていたから、今日が初鳴きではなく、何日か前から鳴き始めたのではなかろうか。とにかく暑いことを理由に、昨日も一昨日もウオーキングをさぼっている。このままではウオーキングの実行率が下がるばかりなので、秋に向かって取り返さなければならないと思っている。

記録を見ると7月は64.5%、8月は今日までの実績が60.9%である。

久しぶりの雨で畑も庭も生き返った。気温も下がったから今夜はよく眠れそうだ。

2014年8月22日 (金)

柱時計

我が家で50年間、時を伝えてくれていた柱時計が動かなくなった。この時計は、義兄が私たちの結婚を祝って贈ってくれたものである。以来私たちの転居に合わせ各地を転々、藤枝に居を構えた折キッチンの壁に落ち着いた。

ゼンマイ式で、ゼンマイを巻けばほぼ1ヵ月働いてくれた。時報やカレンダーを表示する機能は、遥か以前に故障し動かなくなっていたけれど、(従って2個あるゼンマイのうち左側のゼンマイは巻く必要がなかった) 時計部分は比較的正しく動いていた。過日、起床してみると止まっていたので、いつものとおりゼンマイを巻き動かした。暫らくするとまた止まっている。振り子を動かそうとしたら、ぶら下がっているはずの振子が下に落ちていた。これでは時を刻めない。人に例えるなら心臓が止まったようなものだろう。50年働き続けていよいよ寿命が来たようだ。

動かない時計を壁に掛けて置くわけにもいかないので取り外した。壁には時計の跡がはっきり残っている。「何時かな ?」と思ったとき、いつもの癖で時計の有ったところを見上げるが、そこには時計の跡だけがある。

2014年8月21日 (木)

北欧の旅 26 ホニングスヴォーグ~サーリセルカ

旅行8日目、6月19日は、白夜体験が満足の行くものでなかったため、後ろ髪を引かれる思いでホニングスヴォーグを後にした。途中カラショク・イナリを経由し、今日の宿泊地サーリセルカまでは凡そ420kmである。(地図参照)

オスロ⇒リレハンメル⇒アルタを経由し北に延びるE6号線は、オルデルで方向を変え南下してしまうため、オルデルとノールカップ間はE69号線となる。昨日はこのE69号線を北上し、今日はオルデルまで逆に南下してE6号線に入り、さらに南下したことになる。

オルデルから暫らくはフィヨルドに沿って走っていたE6号線も、やがて内陸部に入るとシラカバなどの樹木が多くなる。そしてタナ川の支流に架かった橋を渡るとフィンランドである。看板など国境らしいものは何もなく、説明を聞かなければ国境を超えたことも分からない。国境の少し手前で再びE6とはお別れとなる。

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P6198763_2 トナカイの群れ これらの群れは何れも所有者がいるようだ

P6198772 フィヨルドも見納め いよいよ内陸部に入る

P6198774 南下するに従いシラカバなど樹木も多くなる

P6198785 国境の川 橋を渡るとフィンランド

P6198789 フィンランドで3番目、ヨーロッパ大陸でも6番目に大きいイナリ湖  フィンランドは森と湖の国。国土面積のうち68%が森林であり、10%を湖が占める。













2014年8月19日 (火)

北欧の旅 25 太陽の方向

ホニングスヴォーグは人口3000人程度の街だけれども、ノールカップの玄関口にあたるため多くの観光客が訪れる。ホテルには16時に到着したので、早速街を歩いてみた。丁度大型客船が入港していて、土産物店などは大変混雑していた。

P6188658 停泊中のコスタ・ロマンチカ

P6188668 ホニングスヴォーグは漁業も盛んで 漁船も多い

P6188659 港の広場で観光客を迎える トロール君

ホテルのホールには宿泊客向けに、白夜の観光や大型のカニや魚を獲るアクテビティーを紹介する写真があった (下の3枚) 美味そうなカニである

P6188644001 実際太陽を見ることはできなかったので、この写真は参考になった

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P6188646001 

さて、私たちは6月19日の午前0時前、沈まぬ太陽を見るためヨーロッパ大陸の最北端、ノールカップに立ち、海のかなたを眺め、姿を見せない太陽にやきもきしていた。その時、私たちは南・北あるいは東、どちらの方角を向いて立っていたのだろうか?

最北端の岬で、岬の先端に立ち海を見るとすれば、当然北を向くことになろう。地図を拡大してみると岬は確かに間違いなく北を指している。

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しかし、現地で撮影した写真で見ると、地球儀のモニュメントの地軸はこちらに倒れている。間違いなく私は北を背にして立ち、南を向いて太陽の現れるのを待っていることになる。同じように太陽を待つ周りの人たちも皆背中を向けているのが解かる。

北を向いていたのか南を向いていたのか、この疑問はどう説明されるのだろうか? 

P6198752 ホテルに戻る途中、0時58分ごろバスから撮影したフィヨルド 太陽は出ていないが周囲は明るい

なお、ノールカップ(north cape) は、1533年イギリスの探検隊によって名づけられたもの















2014年8月18日 (月)

北欧の旅 24 アルタ~ホニングスヴォーグ~ノールカップ

アルタの世界遺産を観光し、次の宿泊地ホニングスヴォーグに向かった。途中トイレ休憩や写真ストップをしながら、16時にはホニングスヴォーグのホテルに到着した。今夜は白夜を体験するため、21時30分にホテルを発ち、ノールカップに向かうことになっている。出発まで夕食を挟みゆっくり休息を取ろため早目の到着であった。

ホニングスヴォーグやノールカップは、本土ではなくマーゲロイ島にり、島に渡るには全長6870mの海底トンネルを通る。このトンネルは1999年に開通したもので、それまではカーフェリーを利用していた。

マーゲロイ島には北端に2つの岬がある。右側にあるのがノールカップで北緯71度10分の位置、左側がクニブシェロデン岬、北緯71度11分である。従って最北端はクニブシェロデンだけれども、こちらの岬には車道がなく観光客はノールカップに集中する。案内書では「このあたりは夏でも天候が荒れることが多いので、軽装は禁物」とあった。やはり沈まぬ太陽を見るチャンスは少ないのだろう。

P6188618 欧州自動車道 E6号線はアルタを出ると間もなくツンドラ地域に入る。

P6188617 窓の外は樹木の育たないこのような風景が続く

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P6188630 ときどきトナカイの群れに出会い 写真ストップ

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P6188622 途中で自転車を追い越した 自転車で旅行を楽しむ人が多い  16時ホニングスヴォーグに到着 21時30分までホテルで休憩

P6188674 ホテルを出て間もなく(21時43分ごろ) 昼間のように明るく 空は晴れて期待が高まる

P6188680 途中にサーメ人の住居や店(閉店中?)がある

P6198747 全く顔を出さなかった太陽を恨めしく思いながら帰途についた (19日 0時49分ごろ)






















2014年8月16日 (土)

北欧の旅 23 岩絵

旅行6日目、6月17日の宿泊地は、北緯69度57分に位置し人口約16000のアルタ。人口1万人を超す都市の中で世界最北に位置し、平均気温は1.3℃ということである。空港もありオスロから国内便が飛んでいる。

18日、目を覚ますと今日も雨模様。2日も雨が続けば、今夜のノールカップは晴れてくれるだろうと期待し、気を取り直した。午前10時の気温は4度であった。

アルタは粘板岩(スレート)の産地として、また、アルタ川で採れる鮭も有名であり、1972年に2人の少年によって発見された岩絵は、1985年に世界遺産に登録された。

この岩絵はBC4200年から500年ごろまでに、狩猟や漁労民によって描かれたとされ、花崗岩の岩盤の上に刻まれている。トナカイ・ヘラジカ・クマ・鵜など北極圏に生息する動物たちと、それを追って狩りをする人びと、舟を出して魚を獲る人びとなどが主なモチーフで、中には妊婦の絵もある。現地は海に近い海抜8.5mから26.5mのところで、高い位置にある岩絵ほど古い年代のものという。

P6188589 アルタの岩絵は海岸にほど近いところにある

P6188578 赤い塗料は発見されたあとで施したもの

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P6188574 近くに岩絵博物館が併設されていて、庭で子供たちが遊んでいた

P6188626 アルタに通じる国道は、崖を切り開いて造ったところが多いが、そうした崖の部分は厚さ数センチの薄い岩が積み重なったようになっている。そしてあちこちにパレットに積み込んだように見える石の塊がある。これが粘板岩(スレート)だと一人納得した。

下の2枚の写真はインドで見た岩絵である。ゾウなど身近な動物がモチーフ

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2014年8月15日 (金)

北欧の旅 22 トロムセー~アルタ

雪のストールスタイネン山から下り早目の昼食を取って、トロムセーを後にアルタに向かった。複雑に入り組んだ西海岸のフィヨルドに沿った道はカーブが多く、ドライバー泣かせの道と判断した。

EUの域内には国境を越えて道路網が拡がっており、欧州経済委員会が定めた道路は「欧州自動車道」と呼ばれ、決められた標識が立っている(標識の例  )。トロムセーからアルタへの道も、欧州自動車道のひとつ 「E6」 であるから、整備された道路である。途中一部の地域でショートカットしたので、E6を外れ、カーフェリーを2度利用した。(① ブレンセイデット港⇒スベンドスビー港  ② リングセイデット港⇒オルデルダーレン港)

途中ギルデドリームという丘にはたった一軒だけ家があり、トイレ休憩で立ち寄った。土産物を買うかコーヒーやジュースなどを買うとトイレは無料だけれど、何も買わなければ有料となる。ずっと黒い雲が立ち込めた中の移動で、標高の高いこの丘付近は樹木もなく、銀世界ともいえそうだけれど薄暗く、一種異様な景色であった。

0805001 バスルート  今日はアルタまで  明日はいよいよノールカップ

P6178532 最初に乗ったフェリーの船上から

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P6178543 2度目のフェリー乗り場

P6178545 樹木はやっと寒さに耐えているといった感じ

P6178547 ギルデドリームの丘に近く樹木はなくなる

P6178555 丘にあるレストラン?

P6178553001 レストランの庭にあった道路標識 手製 ?






















2014年8月14日 (木)

北欧の旅 21 ベルゲン~トロムセー

マレーシア航空機が撃墜されたのは、帰国した後であったけれどショッキングであった。4ヶ国を巡るとなると飛行機を利用することも多い。 ① 成田⇒コペンハーゲン ② コペンハーゲン⇒オスロ ③ ベルゲン⇒オスロ ④ オスロ⇒トロムセー ⑤ ロバニエミ⇒ヘルシンキ ⑥ ストックホルム⇒コペンハーゲン ⑦ コペンハーゲン⇒成田  今回も以上7便を利用している。

10時間以上になる長距離では、通路側の席を極力選び、短時間のフライトであれば窓側のこともある。ベルゲンからオスロに飛んだ際は、窓側に座り窓外の眺めを撮影した。

P6168467 ベルゲンを離陸して間もなく フィヨルドが見える

P6168473 ノルウェーは極端に南北に細長い 飛行機は南端部に近いルートを飛ぶ

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さて、新たに足を踏み入れたトロムセーは、北緯70度に位置し、人口は約65000人、北極圏内にある最大の都市で北極圏の玄関口となっている。1968年に設立されたトロムセー大学は、世界最北端に位置する大学であったが、現在は更に北のスピッツベルゲン島に設立された、スバルバード大学にその地位を奪われた。また、マックビールの工場は1877年に製造を始め、世界で最も北で作られるビールである。

街の近くに標高421m、「巨岩」の意味を持つストールスタイネン山があり、ロープウエーが通じている。頂上の展望台からはフィヨルドやトロムセーの街並み、美しい島々を見ることができろと案内書には書いてあったが、当日は朝から雨、頂上に近づくと雨が雪に変わり、美しい展望ではなく北極圏の春を体験してきた。平地の気温は7℃でした。

P6178510 雨のトロムセー 何となく暗い感じで人通りも少ない

P6178525 ストールスタイネン山の山頂駅から、雪が小やみになったすきに撮影 観光船などがうっすらと見える

P6178519 山頂のレストラン(上) 遊歩道(下)誰も歩いていない

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午前中でトロムセーの観光を終え、今度はバスで次の目的地アルタに向かった。














 

2014年8月13日 (水)

北欧の旅 20 ベルゲン2

08131 地図1(グリーグの家)

08132_2  地図2(世界遺産ブリッケン・展望台のあるフロイエン山・魚市場・ホテルの位置を表示)

ブリッケンの近く、入江が最も入り込んだところに魚市場があり(地図2参照)、海鮮料理なども売られていた。

P6168452_2 広場の魚市場

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P6168425 ベルゲンの南約10kmほどのところ、ロトルハウゲン(妖精の丘)に作曲家グリーグが住んだ家がある(地図2参照)。この家は1884年に建てられ、22年間住んでいた。近くには作曲をするときに使われた小屋や夫妻の墓などもある。

グリーグ(18431907年) はノルウェーの作曲家で、ノルウェーの民族音楽に深く影響を受けたとされ、組曲「ペール・ギュント」などで知られる。グリーグはとても小柄で、生地であるベルゲンの自然と海をこよなく愛し、遺言により住居の下にある湖を望む岩壁に、墓が設けられている。

グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、寝る時も一緒だったらしい。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうである。なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみは、エドヴァルド・グリーグ博物館に展示されている。時間の関係でこの博物館には入らなかったので、それらは見なかった。

2014年8月12日 (火)

北欧の旅 19 ベルゲン

4日目の宿泊地は、ノルウェー第2の都市、約26万人が暮らすベルゲン。フィヨルドに囲まれたわずかな平地に建物が密集して建つ港湾都市である。

ベルゲンはオーラヴ3世によって1070年に創建されたとされ、1217年から1299年まではノルウェーの首都であった。歴史的には1020年代から交易地として集落が形成されていたことが証明されている。1100年頃に始まった干しダラを中心とした海産物の交易をハンザ商人が独占、1236年にはハンザ商人によって商館が建てられ、13世紀末にはハンザ同盟の在外四大拠点のひとつが存在する町となった。各地から商人、職工が集まって現在のブリッゲン地区が造られ、14世紀にはノルウェーにおける交易の中心としての地位を確立した。

ハンザ商人が作った独自の居住区ブリッケンは、古い波止場などとともに現在世界遺産に登録され、観光客を集めている。

ベルゲンの町は、内戦・海賊の略奪・失火などにより歴史を通して何度も大火に襲われている。また、1349年にはイングランド船の乗組員によって持ち込まれたペストの洗礼も受けている。しかし、ベルゲンは1516世紀を通じてスカンジナビア最大の都市としてあり続け、1830年代までノルウェー最大の都市であった。

 

ハンザ同盟とは、

中世後期に北海,バルト海沿岸のドイツ諸都市が結成した経済的同盟体。ハンザとは元来「商人仲間」の意味で,当初ドイツ商人によって北海やバルト海沿岸の貿易を独占する目的で結ばれ,12世紀初頭以降にはロンドン・ブリュッヘ・ノブゴロド・ベルゲンに根拠地を置く外地ハンザが形成され,これらが次第に本国都市との間で政治的・軍事的同盟である都市ハンザを形成した。

ハンザ同盟の扱う交易品は、フランドルの織物やバルト海のニシンが主要であった。夏から秋のニシン漁期には、北ドイツの各ハンザ都市から北欧に向けてニシン買い付けの商船隊が派遣されて、年間数十万トンのニシンがヨーロッパに輸出された。またドイツ騎士団領からは木材・琥珀、ポーランド王国からは穀物、ロシア方面からは黒貂・熊・リスなどの毛皮が輸出された。ハンザ商人の取引は、現金・現物による即時決済が中心であった。

P6168379 5日早朝街の散策に出る 通勤時間にはまだ早いが大型の連結バスが走っていた

P6168408 街の近くに標高320mのフロイエン山があり、地元の人たちの重要な足ともなっている全長844mのケーブルカーが通っていて、山頂には展望台がある。 遠足で山に登る子供たちのにぎやかな声を見送った後ケーブルカーに乗り山頂に登った。 写真は展望台から見下ろした中心街の街並み。

P6168410 ベルゲンは雨の日が多く 365日のうち300日は雨や曇りといわれている。 当日はラッキーなことに晴れていて 美しい街並みを見ることができた。 ノルウェー海に臨む港

P6168443 世界遺産に登録されているハンザ同盟時代の木造の家(11棟並んでいる)  造りが雑なので家が最初から傾いていたとか ウナギの寝床のように奥行きのながーい建物。

P6168446001 狭い入口を入ると通路があり 迷路のようなところに土産物店 レストラン ギャラリーなどがある

P6168447 通路から見上げると 木造の板壁や出窓などが見える

















2014年8月11日 (月)

スーパームーン

月は地球の周りを楕円の軌道を描きながら回っている。軌道の遠地点は約41万km、近地点は約36万kmである。午前3時、月が近地点を通り地球に357000kmの距離まで近づいた。しかも丁度満月のタイミングであった。このような出会いはたびたび起きる現象ではないので、この月は「スーパームーン」と呼ばれるそうだ。地球に最も近づいた月は、大きく・明るく見える。

久しぶりに出かけたウオーキングにカメラを持参し、東の空に昇る月を待った。厚い雲があり月は直ぐに雲に隠れてしまったが、スーパームーンを捕えることができた。確かにこれまで見てきた月より大きく、明るかった。

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2014年8月10日 (日)

北欧の旅 18 フロム~ベルゲン

フロムでフィヨルドクルーズ船を下船し、昼食の後、今度は列車とバスでベルゲンに向かった。

まずフロムから乗ったのがフロム鉄道。この鉄道は標高2mのフロム駅から、標高866mの終点ミュールダール駅まで、標高差860mを超す両駅間を1時間かけて走る。両駅間の距離は約20kmで、1944年に完成し、急勾配でも安全を確保するため5種類のブレーキを備えているという。

略図にあるとおり線路の両側には滝や渓谷、牧場や山間の小さな村などが点在し、乗っていても右を見たり左を見たり忙しい。ミュールダール駅に近い地点に、落差93mのヒョース滝があり、ここでは写真撮影のため列車が停車し、ホームに降りて撮影することができる。列車が止まると乗客は一斉にホームに降りて忙しく撮影し、5分ぐらい止まって乗客が再び席に戻ると発車する。列車は直ぐにトンネルに入り、トンネルで180度回転して高度を上げ、トンネルを出ると終点ミュールダール駅も近い。

ミュールダール駅にはベルゲン鉄道のベルゲン行の赤い電車が待っていた。急いで乗り換えると列車は発車し、川や湖、丘陵地帯を走り、約40分ほどでウインタースポーツが盛んなリゾート地ヴォスに着く。列車はベルゲン行だけれども、このヴォス駅で待っていたバスに乗り換え、約1時間半かけて今日の最終目的地ベルゲンに到着した。長い、しかし変化に富んだ1日であった。

0810001_2 フロム鉄道の略図

P6158351 フロム鉄道 フロム駅のホーム

P6158354 列車に乗り込みいよいよスタート

P6158356001 窓の外に見える滝

P6158357_2 カーブで見える列車の後部

P6158363 ヒョース滝 ホームと線路の下を水が横切っている 

P6158365 撮影に忙しい乗客 

P6158369_3 撮影が済むと列車はトンネルに入る

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P6158373_2 ミールダール駅 ベルゲン鉄道の赤い列車にに乗り換え 

P6158376 バスに乗り換えたヴォス駅 ここからベルゲンまではバスの旅







2014年8月 9日 (土)

ドライブ

何所にいても、何をしていても、この猛暑では身の置き場がない。昨日の午後「たまにはドライブにでも行くか」と提案し、行き先の定まらないドライブに出かけた。自宅から大井川港・吉田町・相良・静岡空港・はばたき橋などを巡って5時過ぎ帰宅。冷房をかけ走ったけれどやはり暑い。

以前何度か食事をしたことのある大井川港のみなと家は、繁盛しているようだ。大井川から吉田町にかけて、随所に避難タワーが建った。しかしこれで安全なのだろうかという疑念を拭うことはできなかった。大平橋を渡って車を進めると、新設された道が続きやがて150号線に出た。この新道は多分150号線のバイパスだろう。

相良海水浴場の上空にはへりがホバリングしていた。行方不明者の捜索か? 相良から相良バイパスを利用して牧之原IC~静岡空港まで、信号も少なく快適なドライブウエーである。65kmぐらいのスピードで走っていたら、後ろに長い車の列ができた。この道路は高速道路なのだろうかと一瞬錯覚したけれど、一般道路である。後続車のドライバーは、ずっといらいらしながら運転してに違いない。1台の車が、道路が直線になった時すごいスピードで追い越して行った。

空港では展望デッキで発着する飛行機を見ていた。昨日は沖縄や九州など出発地で台風の影響を受け、到着便は何れの便も1時間程度遅れていた。炎天下、コンクリートの駐機場で働いている作業員に思いを巡らせながら、空港を後にした。

台風11号が近付いている。

2014年8月 7日 (木)

政務活動費

「広報ふじえだ」は毎月5日と20日に発行される。広報と共に年に何回か「市議会だより」が広報と一緒に届く。しかし、市議会だよりはほとんど読んだことがなかった。

号泣議員が話題になったこともあり、8月5日に発行された市議会だよりを開いて見た。ちなみにこの8月5日号は今年になって3番目に発行されたのもである。平成25年度の政務活動費の内容が記載されていた。

藤枝市議の政務活動費は、1人当り年額300000円で、25年度の実質交付額は6474243円であったという。ほぼ満額が支払われたことになる。活動費の内容は、研修費484%、広報費170%、調査研究費135%、事務所費123%、その他資料購入費・資料作成費・広聴費となっている。

号泣議員の不正受給は、氷山のほんの一角に過ぎないといわれている。市議会だよりに注目するだけではなく、議員の活動にもっと注目する必要がありそうだ。

2014年8月 6日 (水)

北欧の旅 17 フィヨルド クルーズ

旅は4日目に入った。昨夜泊まったロフトフースは果物の栽培が有名なところで、果樹園をあちこちで見かけた。しかし、ホテルではそれらしい果物の提供はなかった。

カラフルな家々や森がまるで鏡のような湖面に映る湖畔の道路で、写真ストップ。また、滝の水を飲むと10年若返るといわれているツヴィンネの滝でも写真ストップ。Aさんが足を滑らして川に落ちてしまった。幸い膝下が水に浸かっただけで済んだけれど、水を飲んだかどうか聞くことはできなかった。

10時過ぎ、フィヨルドクルーズの出港地グドヴァンゲンに到着、クルーズに出発する。クルーズは2本の支流が、馬の鞍のように交差したフィヨルドの、グドヴァンゲンからフロムまで、2時間余のクルーズである。(地図参照)
 

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フィヨルドとはノルウェー語で「入り江」という意味。100万年以上も前にできた氷河が、ゆっくり移動しながら谷底をU字型に削り、その後に海水が入り込んだもので、両岸が切り立ち、深さが1000m以上に達するものもある。ノルウェーのフィヨルドは、大木が枝を広げて横たわったように支流が複雑に伸び、中でも、ソグネフィヨルドはヨーロッパ本土でも最も長く、全長が204kmもあり、最も深いところの水深は1308mもある。その支流のネーロイフィヨルドは、世界遺産に登録されている。

P6158265  ロフトフースの朝

P6158276  湖畔の道路から

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P6158285  ツヴィンネの滝

P6158290  クルーズ開始 静かに海面を進む  以下船上からの撮影

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P6158310_2  野生のヤギも見える

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P6158345_2  フロム港で下船

2014年8月 4日 (月)

北欧の旅 16 イエィロ~ロフトフース

イエィロから更に西に進むと次第に標高が高くなり、ハルダンゲルヴィッタ台地に入る。この台地はかつて海底にあったが、約6億年前に隆起して出来たもの。総面積は約7500平方キロあり、そのうち約3000平方キロが国立公園になっているそうだ。

海抜1000mに近いウステ湖あたりが森林限界とされ、樹木はほとんどなくなる。少し緑の萌え出した岩やゴツゴツした石の原野に、無数の湖や池が点在している。白い残雪(氷)・青い水・萌え出した緑・赤ちゃけた岩などが好対照の、日本では見られない眺めを延々と楽しめる。

いつの間にか峠を過ぎて下ると、1980年に完成した高さ81mのロックフィル式 シーセンダムがある。ノルウェーの電力は全て水力発電によって賄われているということであるが、このダムを利用した水力発電所は、国内第2の規模だそうだ。

雪解けの進むこの時期、ノルウェーでは名も無い滝があちこちの出現するそうだが、ハルダンゲルヴィッダ台地の西端にあるヴォーリングの滝は、落差が182mあり観光名所になっている。ハルダンゲルフィヨルドの支流であるエイドフィヨルドに到着したのは17時20分。まるでマンションのような大型客船が停泊し、観光客が歓声をあげながら水に飛び込んだりしていた。歓声は水の冷たさに対してのようだ。ここは外海から200km以上入り込んでいるけれども、、れっきとした入江で海抜0m地帯である。

更に1時間ほど走って今日の目的地ロフトフースに到着した。

P6148176  ハルダンゲルヴィッダ台地を走る

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P6148198 遠くにハルダンゲル氷河を望む

P6148181 台地に住む人の家?

P6148197 トナカイの毛皮なども売っていた

P6148221 ヴォーリングの滝

P6148241 エイドフィヨルドに停泊していた豪華客船










 

2014年8月 2日 (土)

北欧の旅 15 オスロ~イエィロ

3日目はオスロからノルウェーで2番目に長い、ハダンゲルフィヨルドの奥部にあるロフトフースまで、地図で見るとおり約350kmのバスの旅。(記事は途中のイエィロまで)

ネットで目的地の「ロストフース」をキーワードに検索しても、「登録されていません」と素っ気ない。宿泊したウーレンスヴァング・ホテルで検索すると、地図上に表示される。町の名前よりホテルの方が売れているのは、このホテルの庭にノルウェーの自然を愛した作曲家、グリーグが名曲「ペールギュント」などを生み出した作曲小屋が残されているためだろう。

バスは1時間ほど走ってクローデレン湖畔でトイレストップ。ポピュラーな旅行案内書でも載っていない湖だけれども、緑の森に囲まれた美しい湖である。北極探検家のナンセンが、ノルウェーで最も美しい湖と絶賛したといわれ、対岸には1952年、オスロ冬季オリンピックの滑降会場として使われたゲレンデがある。湖畔には白い花が咲いていたけれど、花の名前は不明のまま。

昼前にゴール(という町に)ゴールし昼食。ここには釘などを全く使わず建造された木造の教会がある。しかしこれはオリジナルのものでは無い。

昼食後最初のトイレストップは、イエィロ駅。近くに適当な休憩場所がないため、駅を借りることになったようだ。駅員の姿も、利用客の姿も見えなかった。

P6148127 美しいクローデレン湖

P6148136001_2 白い花が群生していた

P6148151 ゴール スターヴ教会 似たような教会はルーマニアにもたくさんあった

P6148165 イエロイ駅のホーム (上)  (下)は駅舎内

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2014年8月 1日 (金)

北欧の旅 14

オスロの美術館

オスロでのフリータイムは、添乗員がムンク美術館を案内してくれるというので同行した。午前中国立美術館に行き、オスロを代表する2つの美術館に足を運んだことになる。両美術館とも中心はムンクの作品である。

エドヴァルド・ムンクは、1863年、オスロの北方約100kmにあるレーテンで、軍医の子として生まれた。5歳のとき結核で母を失い、また、姉も同じ結核で死亡している。こうした幼い時の体験が、自分自身も同じ病で死ぬのではないかという恐怖となってムンクに宿り、それが作品にも影響があったとみられている。1943年80歳で死去。

主な作品は、叫び・思春期・マドンナ・生命のダンス・病める子・不安 など。

P6138071001 写真はムンク美術館で撮影した自画像 多くの作品は撮影禁止であった

下記のURLで主な作品の写真を見ることができる

  http://matome.naver.jp/odai/2126775240665130201

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