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2015年10月

2015年10月29日 (木)

古い教会

10月に入って雨が少ない。これぐらいのことで干ばつになるとは思えないけれども、メキシコでも雨が少なく、ダムの水位が下がり、湖底に沈んでいた古い教会が姿を現したという。

この教会はカトリック・ドミニコ会の修道士によって、16世紀に建造されたもので、1966年、近くの川に水力発電用のネサワルコヨトルダムが建設されたとき水没した。教会のあった町には先住民族ソケ族が住んでいたが、全員移住して町は湖底に沈んだのだそうだ。

16世紀といえば「日本では、ポルトガル人が種子島に漂流して鉄砲を伝来。ザビエルがキリスト教を伝来。織田信長が桶狭間の戦いで今川氏を破り,室町幕府を滅ぼし、安土城を築いた。明智光秀が本能寺の変で信長を滅し、豊臣秀吉が明智を破り天下統一を達成した」時代である。

当時の建造物をそのまま水没させてしまうことなど、日本では考えられないことだが、メキシコでは何の議論もなかったのだろうか。今なら世界遺産になったかもしれない。

2015年10月28日 (水)

秋野菜

今年の秋野菜は例年に比べ順調に育っている。というのも防虫網をかけて害虫を防ぎ、適宜施肥をし、毎日水を撒いて手をかけ乍ら育てているからだ。愚息どもに対しても野菜同様親身になって子育てをしていたならば、もう少しまともな人間になっていたかもしれないなどと考えたりもする。

それはさておき、野菜の高騰が続く昨今、育てた野菜が毎日収穫でき、スーパーに行く必要もなくなった。当分は野菜中心の生活になりそうである。

Dscn7910001 ダイコン

Dscn7908001 網の中で コマツナ・カブ・サラダナ・ホウレンソウなどが育っている

Dscn7912001 ハクサイ 葉っぱが網に着いてしまい そろそろ網を張り替えなければならない

2015年10月25日 (日)

ISS

夕方6時前、久しぶりにISSを見た。全く雲がなく、南東の空に一三夜の月が明るく輝く中、頭上真上より西寄りの空を、ほぼ北から南に向け飛んで行った。これまで何度かISSを見たけれども、今夜は最も条件がよく、はっきりと、長い時間見ることができたような気がする。

ISSは単なる光の点ではなく、縦横十文字に輝いているように見えた。しかし、ISSの翼まで肉眼で見える筈はない。原因は目の乱視が進んでいるためで、それが証拠に三日月がいつも上下2個に見えているではないか。

北海道を寒気が覆い平地でも雪が降った。冬が近い。

2015年10月24日 (土)

流れ星

一昨日の朝、流れ星を見ようと思い5時に起き外に出た。7~8分空を見上げていたけれども、そのうちに首が痛くなったので諦め家に入った。薄雲がかかっていたので見えにくかったのかもしれない。

昨日の朝は4時に目が覚めたので早速外に出、毎日早朝に行っている深呼吸を、空を見上げながらゆっくりと行っていたところ、4回目のときに流れ星が流れた。そして願いごとをする間もなく消えてしまった。流れ星とほぼ同じ方向には金星と木星が並んで輝いていた。右側が金星左側が木星で、この2つの星は26日に1番近くまで接近するということである。

暫らくISSも見ていない。まだそれほど寒くもなく空も澄んでくるので、星空を眺めるには丁度いい時期になった。ISSは25日 17時55分ごろ、南の空に見られるという。

過日11羽だった蓮華寺池のバン、今日は22羽に増えた。

2015年10月21日 (水)

無名の花

去年の秋山形に旅行し昼食にソバを食べた折、道端の花壇に実をつけた花の古株があった。どんな花だったのか、もちろん花の名前も解からないまま、その実を一輪分失敬して持ち帰った。

7月になって、下駄箱の中にその実を見つけポットに蒔いて育てたたところ、最近花壇で開花し、思いのほかきれいな花なのでソバ屋さんにお礼の気持ちを捧げている。

Pa191919001 まだ蕾もあるし当分楽しめそうだ。

一昨日5羽だった蓮華寺池の バンが、昨日は11羽に増えていた。昨日午後3時のの気温は22℃、急ぎ足で歩けば汗ばむ陽気なのに、気の早い冬鳥たちである。この鳥たちは、私同様バンの中でも寒さが嫌いな連中なのかもしれない。

 朝からオリオン座流星群の話題がラジオで流れている。ネット情報によると、「オリオン座流星群は,全流星群の中で二番目に速度が速い流星群で、明るい流星が多く有痕率も高い。眼視観測でも観測しやすい流星群といえ、10月21日付近にピークを迎える」とある。今日は晴天だしよく見えるかもしれない。

2015年10月18日 (日)

現役時代、パルプメーカーに勤務し、原料となる木材チップを集荷する仕事に携わっていた関係で、「木」を大切にしなければならないという気持ちが強い。

ハイキングなどで地方に出かけ空き地などがあると、「木でも植えればいいのに」などと思い、街を歩いていて枯れてしまった街路樹の跡地に雑草が生えているのを見たりすると、どうして復活しないのか疑念を抱く。余計なことだとお叱りを受けるかもしれないが。より深刻なのは放置されたままの森林が多いということ。せいぜい「木を大切にしましょう」とブログに書くことぐらいしかできないけれども。

我が家の庭にも、アオギリ・ウメ・キンモクセイ・カエデ・ドウダンなどが植えてあるけれども、これらが大木になり狭い庭がますます狭くなってしまうのを避けるため、剪定を繰り返している。剪定をすることは樹木にとっては虐待にあたるのかもしれない。

朝日新聞の読者が好きな木のベスト5は、順に、サクラ・イチョウ・キンモクセイ・ウメ・ハナミズキだそうだ。私は1種類だけ上げるとすればケヤキが好きである。因みに新聞でケヤキは7位である。

2015年10月15日 (木)

お寺さん

新聞報道によれば、文化庁の2014年版宗教年鑑によると、全国の仏教系宗教法人の寺院は、約75,900カ所に及ぶ。朝日新聞が、全国の寺の約80%を占める主要10宗派(曹洞宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・浄土宗・日蓮宗・高野山真言宗・臨済宗妙心寺派・天台宗・真言宗智山派・真言宗豊山派)に尋ねたところ、住職がいなかったり兼務だったりする寺は、全体の約16%、12,065カ所にのぼり(日蓮宗は非公表)、この10年間で計434寺が任意解散や吸収合併などの手続きを経て消滅したという。

お寺さんも少子高齢化や過疎化によって、檀家の減少や住職の後継者不足などの影響をまともに受けている。思うに我が家の愚息どもも、お坊さんの修行をさせて置けばもう少しまともな人間に育ったろうし、こうした時代に少しは役に立ったのではないだろうか。核家族化が進んで、先祖伝来のお墓でさえ見捨てられてしまう時代だから、お寺さんがこうした事態に陥ってしまうのも、止むを得ないことなのかもしれない。

2015年10月14日 (水)

安全安心

トラックに積んであった荷物が崩れ落ち、近くを走っていた、あるいは歩いていた車や人が巻き添えに遭う事故がよくある。大分以前のこと、私の前を走っていたダンプカーから落ちた小石で私の車のフロントガラスに傷が付いた経験がある。ダンプカーは勿論われ関せずの風情で走り去った。

さて、畑の近くで重機を使った土木工事が行われていた。工事が終わったらしく大型トラックが来て重機を積み走り去った。丁度腰を伸ばそうと思ったところだったので、畑に立って様子を見ていたところ、トラックは重機を積んだ後重機を固定した様子もなく直ぐに動き出した。多分このトラックはそのまま目的地まで走ったに違いない。

このようなトラックが公道を走っているとすると安心はできない。重機を積んだトラックには近づかないに限ると思いながら畑の作業を続けた。

2015年10月13日 (火)

オーストラリア 13 花に逢う

朝8時にフリーマントルのホテルを出発、約2時間走って、小さな町のガソリンスタンドを借り、ようやく最初のトイレ休憩となったが、長い2時間であった。というのも、前立腺の肥大とともに膀胱の弾力性が無くなり、タンクの容量が小さくなってしまったようで、2時間が我慢の限界なのである。

「花が見られるかも」というガイドの案内で、スタンドの周辺にある藪に入った。正にワイルドフラワーが開花していた。

ガイドが花の名前を教えてくれ、最初は撮影しながらメモを取っていたが、その内撮影の方が忙しくなりメモを取るのを止めてしまった。帰国して写真を整理しながら名前も調べればいいと思ったのである。いつものことだが写真だけは沢山撮影してきたけれども、整理も名前調べも進んでいない。

名前が解からないままほぼ撮影した順に写真を掲載したい。

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P9040998 ワイルドフラワーの中でも最も人気の高い「リースフラワー」 周囲からリース状に開花する 生育している場所が限られていて年によって開花の状況が違うという 幸い私たちは最もよい時期によい場所を訪れたようだ

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2015年10月11日 (日)

自爆テロ

アンカラの中心部で大規模な爆発が連続して起き、100人近い犠牲者が出ている。自爆テロとみられている。

トルコは親日的な国で、多くの日本人が観光に訪れ、私もトルコを訪れてから本格的に海外旅行に足を向けるようになった。それだけこの旅行が印象的だったのである。魅力的で比較的安全な国とされたたトルコが、このように危険な国に変身してしまうとすれば、大変残念なことだ。

海外旅行者が減っているせいか、最近やたらあちこちの旅行会社からパンフレットが届く。殆どが古新聞とともに片付けられてしまうけれど、その中にかねてから候補地として考えていた「バルカン半島を巡る旅」があって、ツアー代も比較的安く興味をそそられた。しかし、このツアーで利用する航空会社はトルコ航空であり、このような事件が起きると二の足を踏んでしまう。

数日休んでしまったのでウオーキングに出かけた。周遊道路にも落葉が多くなってきた。途中1本のイチョウの木があて例年見事に黄葉していたけれど、いつの間にかこの木の姿が見えなくなった。伐採されてしまったようだ。

2015年10月 7日 (水)

オーストラリア 12 ワイルドフラワー探索

旅の本命、ワイルドフラワーの探索が始まる。今日の目的地は、フリーマントルから北に約440kmのジェラルトン。直通なら5時間弱のドライブとなるが、ワイルドフラワーを探しながらのドライブで、1日で550kmぐらいは走ったのかもしれない。朝8時に出発し、ジェラルトンには夕方5時過ぎに到着した。

日本でこれだけの距離を走れば、何度赤信号でストップするか見当もつかないけれども、人口密度の極端に低いこの地では、全く信号機はない。もちろん出会う車も少ない。途中には昼食を取る適当なレストランがないということで弁当が用意され、途中にあった小さな町の公園のベンチで食べた。

バスの後ろには小型の荷物車が取り付けてあり、中には我々のスーツケースや弁当などが入っている。ジェラルトンのホテルに到着してスーツケースを受け取ると、スーツケースはひどく埃まみれになっていた。ワイルドフラワーを探して未舗装の道などを走ったためである。

Geraldton  国道1号線が青く表示してあるが ワイルドフラワーを探してさらに内陸部の道路を走った

P9040970 旅行期間中ずっと案内をしてくれたドライバーさんとバス 後ろに白い荷物者を引っ張ている 

オーストラリアでも女性のバスドライバーは少ないと思う これだけの長距離をしかも長時間の運転である 日本では必ず交代のドライバーが必要なところだと思う

P9040968 一面に菜の花畑が連なる農村地帯

P9040971 羊や牛の放牧地も多い

P9041029 内陸部に入れば野生のお花畑

2015年10月 3日 (土)

オーストラリア 11 フリーマントル

旅の最初の宿泊地はフリーマントル。パースから南西に約20km、スワン川がインド洋に注ぐ河口に発達した港町。世界的なヨットレースとして知られるアメリカズカップが、アメリカ以外の地で初めて開催された地として知られる(1986~1987年)。 またこの港は南極観測船「しらせ」の最終寄港地でもあり、観測隊員がここで乗り込み食料などを積み込んで南極に向かう。

かつてイギリスによって行われた、流刑の歴史や文化を継承するものとして、オーストラリア国内にある11ヶ所の遺跡群が、「オーストラリアの囚人史跡群」として世界文化遺産に登録されている。その中の一つが「フリーマントルの旧刑務所」で、およそ9000人の囚人がこの刑務所で暮らしたという。1991年まで実際に使われていたそうだ。

海浜の近く、「ラウンドハウス」と呼ばれる建物は、西オーストラリアで現存する最も古い公共の建物で、1831年にスワン川植民地の最初の刑務所として建てられたもの。眺めがよく写真スポットとなっている。

街の中を歩いてみたところでは、藤枝ほどではないにしてもシャッター通りを思わせるところもあった。夕食はホテルで。旅行中何度かビーフを食べたがここのビーフが1番美味しかった。

Fremantle  フリーマントルの中心街 ホテルから旧刑務所もすぐ近い

P9030901 ラウンドハウスの内部 観光客が囚人になっていた

P9030909 フリーマントル駅 余り人影も見えない

P9030916 インド洋に沈む夕日

2015年10月 2日 (金)

オーストラリア 10 乗り継ぎ

何かの物音で目を覚ました。どうやら朝食の準備ができたようだ。頭は重いし腰は痛いし、目覚めはすこぶる不調である。とらの観察では「どこででもよく眠れるね」ということだが、自分では眠ったという意識は殆どない。朝8時半、朦朧とした状態でシドニー空港に着陸した。

パースへの乗り換え便は10時10分に出発する。それまでに入国審査や国内便のチェックインを済まさなければならない。シドニー空港の入国手続きは自動化されている。先ずパスポートを読み取り機に入れ使用言語を選ぶと、最近の旅行実績などに関した質問が現れ、Yes・Noで回答する。回答がOKになると、次のステップに必要なカードが発行される。

次は写真撮影で、カードを撮影機に挿入すると、自動的に顔写真が撮影され、正しく撮影が済めばゲートが開いて入国が可能となり、審査が終了する。慣れない機械の操作に戸惑ったり、何台かあるうちのパスポート読み取り機が使用不能になったり、トラブルが多い。

その後の手荷物検査がまた厳しい。旅行会社からの「旅のしおり」には、「食品をお持ちの方は(入国カードの)6番の『はい』にチエック、薬品をお持ちの方は7番の『はい』にチエックを入れてください」と注意が気がしてある。食料品・薬品・果物など、外国からの持ち込み禁止品のチェックは、乗客が数名ずつ検査領域に入り、手荷物を足下に並べると、係員に連れられて警察犬が来て全員を1巡しチェックする。私は東京からの便でもらったリンゴを鞄の中に入れていたが、無事通過した。

シドニーからパースまでのフライトは約5時間、簡単な機内食(昼食)が出る。初めてのパースは晴れ、気温は20℃であった。

2015年10月 1日 (木)

オーストラリア 9 初日

出発時間は22時だし羽田空港なので、家で昼食を済ませゆっくり出発しても十分間に合う。ただし当日は、大雨の影響で列車の運行が乱れていた関係で、早目に家を出る。特に品川での乗り換えには、電車の行先に間違いがないか確認しながら乗換え、多少時間を要したが、予定より1時間以上早く羽田に着いた。

離陸して約1時間後、つまり順調に行って23時ごろ機内食が出る。日頃の夕食に比べれば5時間以上も遅くなるので、簡単に腹ごしらえをして搭乗を待った。空港のレストラン街では、希望の食事がなかなか見つからず、歩きまわることになった。日本の表玄関なのだから、多種多様な食事があっていいのではないかと思った。

この時間、羽田は比較的空いていて、チェックイン・出国手続きは順調に進む。カンタス航空のシドニー~東京便の機体は、ボーイング747である。日本の航空会社では燃費が悪いため既に運航を停止した機体だ。多少の遅れはあったようだが無事離陸し、機内食を平らげ、いよいよ窮屈な魔の時間、座席での睡眠となった。時差が殆どないことだけが救いである。

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