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2019年11月

2019年11月26日 (火)

ウズベキスタン 8

次に訪れたのはブハラの南西約260kmにある、「緑の街」を意味するシャフリサブス。英雄ティムールは1336年この町に生まれ、ここを基盤に領土を拡げた。そしてここにはティムール時代以降の印象的な建築物が多く残っている。

1405年に完成したアク・サライ宮と名の付く夏の宮殿は既に崩壊してしまったが、高さ38mの門が表面のタイルがはがれた状態で残っている。この門の高さは当初50mあったとされ、門前の広場にはティムールの立派な立像が建っている。

ドルッテイロヴァット(瞑想の家)と呼ばれる建築物の一群は、ティムールの孫、ウルグ・ベクによって散在していたモスクや廟などが一か所に移築統合されてできたもの。その中の一つグンヴァズイ・サイダーン廟は一族の墓所で、一番奥にあるコクダッシュ(青い石)と呼ばれる墓石は、病気を治す効果があると信 じられていて、拝観者たちが石を触っていくため表面に窪みができている。

Blog-191126アク・サライ宮の門

Blog-1911262ジャハーンギール廟(権力の霊廟)とコク・グンバッズモスク(青色のドームを持つモスク 後方)

Blog-1911263コクダッシュ

Blog-1911264バザールの一角

 

2019年11月23日 (土)

ウズベキスタン 7

  ブハラ

ブハラの歴史は古く、中央アジアの乾燥地帯にあって水に恵まれ、紀元前5世紀には城壁を持つ要塞都市が成立していたとされる。以降、ソグド人・ウマイヤ朝・サーマーン朝等々盛衰を繰り返し、16世紀後半にブハラ・ハン国の首都となって以来、中央アジアにおけるイスラム教の中心都市となった。今に残るモスクやメドレセなどのイスラム建築は、当時に建造されたものである。

訪れた当時の、古都の味わいや「青の都」と呼ぶにふさわしい輝き、バザールの喧騒などの記憶はもう薄くなってしまったが、残っていた地図を頼りに当時を振り返ると、スィトラ・マヒ・ホサ宮殿、アルク城、カラーンモスク、ミル・アラブメドレセ、タキ・ザルガランバザールなど、モスクやメドレセ・廟・バザールを観光している。

Blog-191123 Blog-1911232市街を取り囲む城壁とカラーンモスク

2019年11月20日 (水)

ウズベキスタン 6

ヒヴァからアムダリア川を約450㎞遡ると、シルクロードの要衝として栄え、モスク・メドレセ(神学校)・廟などの建築物が数多く残り、世界遺産にも登録されている古都、ブハラに着く。

ブハラまでの道路はヒヴァ郊外では綿花畑が続くけれども、1時間も走ると「赤い砂」を意味するキジルクム砂漠の道に変わり、果てしなく続く1本道となる。アムダリヤ川を渡り、ラクダに会い、遊牧民の住むテントに立ち寄り、時に青空トイレを利用しながら、約7時間のバスの旅だ。朝7時にヒヴァのホテルを出発したものの昼食は14時過ぎとなり、ポテトサラダ・ライスと牛肉の煮込み・デザートのアイスが美味しかった。Blog-191120砂漠の中を走る直線道路

Blog-1911202出会ったラクダ(飼い主はいるはずと運転手さん)

2019年11月18日 (月)

ウズベキスタン 5

ウズベキスタンは、447,400㎢(日本の約1.2倍)の国土を有し、綿花の生産量・金の埋蔵量・ウランの埋蔵量で何れも世界第4位とされるが、国境を最低2度越えなければ海に達することのできない「二重内陸国」である。

国内にはパミール高原や天山山脈を水源とする、中央アジア最大のシルダリア川やオアシス都市ブハラを潤すアムダリア川が流れている。しかし、両河川の水を綿花栽培に活用しすぎ、両河川が流れ込むアラル海が瀕死の状態にあることは前に触れた。

記録によると、訪れた当時の為替は1円=10.45スムであった。ネットで最近のレートを調べてみると1円=86.94スムに下がっている。あまりに差があるので間違いではないかと再計算したが、間違いではなさそうだ。

Blog-191118ヒヴァの日の出

2019年11月16日 (土)

ウズベキスタン 4

このウズベキスタン旅行は、ユーラシア旅行社が募集した8日間のツアーに参加したもので、添乗員を含め12名が参加した。タシケントの国際空港までは約8時間のフライト、途中天山山脈を越える。

観光のスタートは、オアシスの町として8世紀頃からシルクロードの中継地となり、17世紀にはホレズム帝国の首都となったヒヴァから。世界遺産に登録されているヒヴァは、外側約6km・内側約2kmの城壁に囲まれ、内側の城壁内は博物館都市となっていてイチャン・カラと呼ばれる。特に青のタイルで覆われたカルタ・ミナルと呼ばれる高さ29mのミナレットは、ヒヴァのシンボルとなっている。宿泊した城壁内のホテルは、寝返りをするとギシギシ音がするベッドで、全てに年季が入っているホテルであった。

Blog-191116カルタ・ミナル  

2019年11月12日 (火)

ウズベキスタン 3

独立後間のないウズベキスタンであるけれども、中央アジアは人類の歴史は古く、旧石器時代の遺品が発見されているし交通の要衝として栄え、玄奘三蔵がインドに行くときこの地を通り、また金の産地としても知られている。

ウズベキスタンの歴史上最も有名なのは、14世紀にモンゴル軍人の子孫でイスラム教徒のティムールが、サマルカンドに建国した「ティムール朝」(1370年~1507年)の存在である。彼は生涯絶え間のない征服戦争を続け、東は中国の辺境から西はアナトリアまで、北はロシアの草原地帯から南はインド北部に至る中央アジア史上空前の大帝国を樹立し、首都サマルカンドには壮麗な数々のモスク・メドレッセ・廟を建設して、サマルカンドをイスラム世界の中心地に育てる努力をした。それらが今に残る「青の都」である。

Blog-191112シャフリサブスのティモール像  

2019年11月10日 (日)

ウズベキスタン 2

ベルリンの壁が崩壊し冷戦が終結して昨日で30年なる。それから2年後ソ連は消滅した。中央アジアにあって、それまでソ連内の共和国となっていたキルギスやウズベキスタンなど5か国が、そのとき独立国となった。従ってウズベキスタンはまだ30歳に満たない初々しいイスラム国である。

ソ連時代は綿花の生産に専念していた関係で、現在でも綿花畑が多く、私たちが訪れたときは丁度綿摘みの最中であった。ソ連は綿花生産の用水として、アラル海に流れ込む2本の川の水を大量に利用したため、アラル海は水量が減り縮小を重ね、消滅の危機にあるされている。干上がって陸地と化した地点に、かつてはこの湖で活躍していた大型船が、砂に埋まっている写真を見て大変驚いた記憶がある。

 Blog-191110綿花畑で

2019年11月 7日 (木)

ウズベキスタン

清水義則さんの書いた本を読む。「かつてモンゴルは元(ゲン)から西アジアに至る大帝国を作り上げたが、彼らが制圧した地域にはどこにもモンゴル帝国の面影を残していない。それに対して、チムールが創始したチムール帝国は、「青の都」と呼ばれるサマルカンドなどに多くのモスクやメドレッセを残した」とある。

そんなチムール帝国の遺産を観るためウズベキスタンを訪れたのは、2006年9月のことであるが、改めて写真を引っ張り出し、清水さんの言葉を借りながら当時を振り返ってみたい。

Blog-191107  最初に訪れたヒヴァの町

2019年11月 5日 (火)

換気扇

トイレの換気扇を数年間掃除しなかったので、埃が目立ってきた。年末も近いので掃除をすることにした。

取り扱い説明書を引っ張り出し、参考にしながら部品を外して水洗い、本体の埃は雑巾で拭き取った。ようやく部品を組み戻し、スイッチを入れたとたん埃が顔に吹き戻された。虫などの侵入を防ぐため外側に貼ってある金網が、埃で目詰まりしていたのだ。外側に回り古い歯ブラシを利用して目詰まりを解消、本来の性能を取り戻した。

年末の大掃除も今から少しずつ行えば楽にできることは判っているけれど!

 

2019年11月 3日 (日)

再開

「ねずみととらの家」の扉を久しぶりの開けてみた。

3年間も放置していたので、家の中は相当に荒れているが、愛着はあるしリフォームをすれば使えないことはない。

何事も継続が大切であり、再開したからにはそれなりの努力が要るけれど、舞台から飛び降りることにした。

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