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2019年12月

2019年12月31日 (火)

大晦日 1年を振り返る

認知症を患っていた姉が、97歳で他界、兄も意思疎通がままならず施設の生活に入った。姉兄ともに認知症を発症したので、その可能性をひしひしと感じている。最近字を思い出せないのも気になる。もっとも字が書けないのは、学生時代の勉強不足の影響が大きいというべきかも。

夫婦で医者通いを競い合い、医療費は去年の2倍以上に達した。生活習慣の改善が必要と言われても、老齢化は如何ともし難い。筋肉痛・皮膚の痒みなどがなかなか解消せず長引く。ちょっとした傷もなかなか治らない。

何事をするにしても根気がなくなった。好きでやってきた畑仕事も夏以降手入れが行き届かず散々だった。久しぶりに再開したブログは、ウズベキスタン紀行が尻切れトンボのままである。日々の行動を記録してきた記録も最近は途切れることが多い。

反省あまたの1年であった。

2019年12月 7日 (土)

ウズベキスタン 11

ビビ・ハニムモスクは、ティムールによって造られた中央アジアで最大の規模を誇る建造物であるが、余りに大きく、1399年から5年余の短期間で工事が進められたことなどから、レンガの落下や建物の崩壊などが続き、誰も礼拝に来なくなり遂に廃墟となった。現在の建物は20世紀に入ってから再建されたものである。しかし、モスク近郊のショブバザールはモスク建造当時の賑わいを今も保っているという。また、建造中設計士がティムール妃ビビ・ハニムに恋をしてしまったとの伝説が伝わる。

Blog-191207 Blog-1912072廟は赤いバラに包まれていた

イスラム教の預言者ムハンマドのいとこであるクサム・イブン・アッバースが、7世紀にイスラム教布教のためサマルカンドを訪れたものの信仰の対立から斬首されてしまった。しかし彼は自分の首を拾って地中深い井戸の中にある楽園の庭に至り、永遠の生を得て現在もそこに生きているという伝説が残っているのが、シャーヒ・ズィンダ廟群である。11世紀から19世紀と長期間に造られた20以上の建造物の集合体だ。廟群の1番奥に礼拝堂があり、ここに2度来るとメッカ巡礼をしたことになるとされている。

Blog-1912073 Blog-1912074礼拝を終え(?)廟を下る人々

2019年12月 6日 (金)

ウズベキスタン 10

サマルカンドが「青の都」と呼ばれる原点ともなった6大イスラム建築、つまり、レギスタン広場の3つのメドレッセ、ビビハニム・モスク、ティムールのグリ・アミール廟、ティムールゆかりの人びと約20人の眠るシャーヒズンダ廟群が、サマルカンドにある。ほぼ1日かけてこれらを廻った。

街の中心にあるレギスタン広場には、向かって左側に1420年に建造されたウルグ・ベクメドレッセがある。このメドレッセは1番古く入口両側のミナレットは少し傾いている。ウルグ・ベクはティムールの孫で天文学者としても名高く、広く学問を奨励した。この建物と広場を挟んで対面するのがシェルドル・メドレッセ、楼門にライオン(トラかも?)と人の顔が描かれている。偶像崇拝を禁じているイスラムの世界で、人の顔があるのは珍しい。広場の奥中央にあるのは、シェルドル・メドレッセと同じ17世紀に建てられたティラカリ・メドレッセ(ティラカリとは「金箔を貼った」の意味)で、ガイドさんの指示で下を見ながら建物に入場し、中に入ってから天井を見上げて金ぴかのドームに魅せられた。しかしこの天井、実際は平らな天井に遠近法を使ってドームを描いてあるのだそうだ。

何れにせよ、どのメドレッセも華麗な青のタイルで装飾が施されている。

Blog-191206レギスタン広場

 Blog-1912062ティラカリ・メドレッセの天井

2019年12月 1日 (日)

ウズベキスタン 9

旅行も6日目に入り、特にこの日は今回の旅で初めて国境越えをした関係で、どっと疲れを覚えた記憶がある。復路の国境越えでは長時間待たされたりしたので、疲れが溜まったのだ。

朝7時にサマルカンドのホテルを出発、東隣のタジキスタンにあるペンジケント遺跡まで観光に向かった(約60㎞の距離)。どちらかといえばこのペンジケント観光は付録的であったけれど、改めてタジキスタンを訪れる計画はなかったので、貴重な体験であったともいえる。タジキスタンはウズベキスタン同様冷戦終結後旧ソ連から独立した国で、国土の50%以上は標高3,000m以上の山岳地帯にあり、7,000m超の山を3峰持つ。

ペンジケント遺跡は、5世紀~8世紀にシルクロードの国際商人として活躍したソグド人の古代都市遺跡であろ。8世紀にアラブ人に襲撃されたため廃墟となったが、1933年に羊飼いによって発見され、中央アジアのポンペイと呼ばれている。ゾロアスター教の神殿跡などを歩いたけれど、当時の建物は日干し煉瓦造のため原形をとどめているものはなく、想像する以外にない。

Blog-191201国境近くで出会った子供たち

Blog-1912012ペンジケント遺跡  

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